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みんなのおねだり
気づいたら家のなかに動物がたくさんいる。 彼らは基本的に健康でいて毎日ごはんをたべしっぽを降り尻を突き上げ走り回って寝っ転がって平和に暮らしている。 かめきちは京都から夫が連れてきたカメだが冬の間は水槽に水中ヒーターをいれてもらってあたたかくすごしている。東北の冬にカメを冬眠させると凍りついて凍死する恐れがあるらしく、かめきちは冬眠せずにカメ用の日照ライトの下で甲羅を干す。冬眠中のカメはもちろんごはんを食べないがかめきちは冬でもごはんを食べる。 かめきちのおねだりはエサクレダンスで、水槽のはしっこによって顔をこちらに向けて両手でいぬかきのような動きをする。エサクレダンス中にごはんを落とすけど水流でごはんは流れてゆき、かめきちは食いつくのが遅いのでけっこうな数がフィルターに詰まっている。 かめきちはごはんをぼろぼろこぼすのでそれを食べるドジョーズが共存している。 ぬげたは散歩のおねだりとごはんのおねだりとがある。散歩のおねだりのときはほんとうに仔犬のように目をきゅるんとさせて笑って誘う。朝、寝巻きから服に着替え始めると前足を伸ばしてストレッチをはじ

すずめや
13 分前読了時間: 5分


最後の寒波
昨日から最低気温はマイナス9℃や10℃で日中も大して温度が上がらない。これは最後の寒波なのだという。明日になれば寒波が抜けて、明後日には最高気温が5℃まであがる。 最後の冬の日々だ。 そんななかえっちらおっちら盛岡に出勤している。先週は大雪にかぶって歩くのも難儀したけど今週は寒いだけで危険を感じるようなことも少ない。駅まで送ってもらう車窓の風景はみごとに美しい冷たい冬で、これがおしまいになると思うと寂しい気持ち。明日が最後の冷たい冬の日。 あとは春に向けて少しずつ雪が溶けてあの可愛い雪解けの雫のノックを聞く日々だ。夫はもう山菜取りのことを考えているみたいだ。 この冬は不思議といろいろな動きがあった。 いやわりと自分が変則的な動きをしていたのだから不思議というほどでもないのかも。 冷たい冬だから、なにかが動いたことが不思議に感じられるだけなのかも。 去年の冬は車が続けて滑って事故に遭ったり薪が足りなくなって夫が屋根裏を漁って木材を探しては丸ノコでぶった斬ったり集落の方のもう使っていない古い薪をわけてもらったりしてそれはそれでバタバタしていた。だから

すずめや
3 日前読了時間: 2分


盛岡のひとびと
昨日おとといと一日中カワトクの店頭に立って岩手移住後最大数の岩手県民もとい盛岡人と話した。 先週の在店ではてんてこ舞いでよく噛み砕けなかったけれど二度目の店頭でなんとなく盛岡のひとびとの感じを掴んだような気がする。 まずは店内、カワトク内だけれど、朗らかだ。 仙台藤崎に行った時もいたく感動したすれ違いざまの気持ちの良い会釈やスタッフさん同士の空気感の軽さが素敵だった。やっぱり東北の百貨店内部はみんなこんなかんじなのだろうか。 そして立ち止まってくださるお客様、皆さまゆったりとした構えでわたしの説明をじっと聞いてくださる。耳を傾けてくれているというのが静かに伝わってくる嬉しさがある。 今回は初めての会場ということもあって、持っていくノートの種類をけっこう限定した。持って行ったなかでも物語のノートのシリーズはぜひ盛岡の人々の反応を見たいと思ってどきどきしていた。いちばん値が張るシリーズだけれど、それは手間と思いの乗った価格の反映であり、だからこそこのシリーズが、どう売れるのかを見たかった。ふだん出ている作家同士の売り場づくりでは、わたしの価格帯は尻か

すずめや
2月2日読了時間: 3分


散らかりはじめ
今年の冬はできるだけ家から離れずに収入を確保するぞという目標のもと久しぶりのイベントに出たり初めてのイベントに出たり委託を頑張ったりしているんだけどなんかだんだんとっちらかってきた。 ハンドメイドインジャパンフェスの荷物も完全には解けておらず無視したまま次の搬入をやってなんかそれもいままでやってこなかったやり方で販売をしているので新しいやり方に混乱しているみたいだ。 製本は時間がかかるので今後の仕事の具合を考えながら作品を作っていくわけだけれど、そういう計画を立てたり数を数えて準備をしたりということが本当に苦手なのでゴリゴリの物量で押し切ってなんとかしていた。いっぱいあるし大丈夫だし。というかんじで。 しかし委託販売ということになってくると値ふだをとってビニールでくるんで改めて値ふだシールを作って貼るとかバーコードのためになんかくるむとか数をきっちり数えて納品書を作ったり申請したりしなければならずわたしはこういう作業が苦手だしむしろ嫌だきらいだ。勿論確定申告のこともずっと嫌だし経営には全く向いていないと思う。 そういうのを繰り返しているとなんか頭

すずめや
1月29日読了時間: 2分


もりおか文具の博覧会
新宿には用事があってときどき立ち寄る。 立ち寄るたびにこんなにたくさん人が集まっていて何が起こるのかと思うけれど人々はただ自分の人生を生きておりそれが交差しまくりあんなうねりとなるのが人口の多さということなのだ。 もりおか文具の博覧会3日目。 文具の博覧会というのは全国で開催されている文具好き垂涎のゲロヤバモンスターイベントである。優しい妖精さんの導きでこのたび初出展。会場は盛岡カワトク。通える距離だ。 ゲロヤバモンスターイベントとはいえ、雫石に暮らすわたしはどこかで思い込んでいた。いくら人気のイベントとはいえ岩手の人口は新宿よりきっと少ないのやし楽しむ気持ちで過ごせるだろうと。もうぜんぜん、大間違いだった。 まずはじめから雲行きは文字通り怪しかった。 在廊予定の前々日くらいからここ数年なかったくらいの大雪が降りはじめ、道路は凍結、電車は遅延、雪かきは永遠に終わらない。頼みの綱の田沢湖線は運休の恐れがあるなんて言い出した。 車で盛岡にむかうのも道路はボコボコだし混み合っているしで恐ろしい。なんでこんなタイミングでこんな天気が来るのだ。...

すずめや
1月25日読了時間: 2分
マイナスの世界
ここんとこたいへん寒い。日中も最高気温はマイナスのまま。 マイナスの世界が、冬はもっとも美しいと思う。 雪はふわふわでなめらかで、木々に積もった雪がすこしの風でため息を吐くように舞う。風の通りみちが雪の粉で色づけられて、それはとても有機的な起伏があって、頬を撫でる風、なんて言葉のふくよかさを知る。 日陰は青色にすべてが薄く染まって陰影を引き立てる。陽に照らされた雪は黄色くなって、だけど寒いから雪のまま、溶けてあの可愛い音を立てることはない。目を固く閉じたままの石膏人形のよう。 夜はあまり良くないわたしの目でも、オリオンの剣まではっきり見える。星はあまりに多くてひかりすぎていて一等星がどれなんだかわからないくらい。 虫も動物も木の葉ずれの音もなくてしんと沈むような静寂があって、たまに小鳥が飛ぶけれど、マイナスの世界ではなんだかそれは異質の石礫のように見えるから不思議。 家の中では暖かい場所で四匹の猫はだらしなく寝転んで、とびら一枚隔てた場所はこんなに寒いんだなんて思ってもいないんだろう。こんなに静かでこんなに美しくてこんなに冷たい。 鼓動やぬくもり

すずめや
1月22日読了時間: 1分
やんたやんた
今月はめちゃくちゃだ。 12月はたいして雪は降らなかったのにどかどか降ってしかも大雨が2回もあった。 根雪の底まで雨が浸透してすんごい重たいべちゃべちゃの雪を必死にぶっとばしてからだがガタガタになり、そうかと思うと昨日は意味わからんくらいの積雪量で出展前の準備もままならないまま1日のほとんどが雪かきにもっていかれた。 二台あるママさんダンプの一台はねじがどっかいってゆるゆるだし、もう一台は先っぽの金属が半分とれてどっかいって使えなくなった。雪のなかにあるんだろうけど見つけることは不可能に近い。雪かきスコップもいっこだめになって、四度目の冬ともなるとこういうことも起きてくるんだなあと過ごした日々を感慨深く思えなくもない。いやそれは強がりである。 ぬげたをさんぽに連れ出していると軽トラで背後からやってきた集落の紳士が窓をあけて、雪がすごかったから流石に嫌になっただろうと気にかけてくれた。正直やんなっちゃったと笑って答えた。岩手の人は嫌だというのをやんたという。やんたはかわいい言葉だ。やんたくなったろと聞かれてやんたくなったと答えられた。 なんかそれが

すずめや
1月21日読了時間: 1分
10年ぶりくらい
10年ぶりくらいのイベントに出展するために東京ゆきの夜行バスを待っている。 そのあいだにわりと長々と思い返しブログを書いていたけれどなんか急にアプリが落ちて全てが水泡。 ふてくされました。

すずめや
1月16日読了時間: 1分


すっきり
なんだかぶすぶすにくすぶりを抱えていたのがここのところすっきりと晴れた。問題が解決したとかそういう具体的なものでもないのだけどケセラセラモードに入った。なるようになる。結局いつも同じでやり続けるしかないんだから。 日本いちのクラフトフェアと名高い長野は松本のまつもとクラフトフェアに応募用紙を出した。提出は期限ぎりぎりだったけれど、それは名古屋でまつもと出展作家に応募用紙の書き方をあーだこーだと教えてもらっていたから。審査があって、落ちたら行けない、受かったら行ける。 手製本というのはクラフトや工芸のジャンルにおいてとても作家数が少ない。生業にしている作家さんにお会いできたのは18年ほどの作家人生の中で片手に足りるくらい。だからずっと、工芸作家たちの舞台に憧れていて、でも諦念が先にあって、憧れているだけだった。 普段でている百貨店や丸善さんでの催事よりも、頭の悪い言い方になるけどクラフトフェアやギャラリー展示というのは高尚なかんじだ。バンドマンに例えたら対バンライブハウスとワンマンドームや夏フェスみたいな差だろうか。 自分を鼓舞しなければ卑下する根

すずめや
1月10日読了時間: 3分
名古屋ラシックありがとうございました
新年の初売りを名古屋ラシックでみんなで迎えるという幸あるスタート、今年も無事に終了しました。やっぱりクリフェスはいい。末永くみんなで過ごしたい。名古屋のお客さまもお馴染みの方から通販しかしたことなかったけど思い切ってお正月に出てきたと言ってくださる方から通りがかりのギャルまで幅広くお手にとっていただきありがとうございました。 エッチなタイプの繁華街にある雑居ビル4階という立地のタイ料理屋さんにお正月は1人で行った。そこがとても美味しかったのでもっといろんなものが食べたいとみんなで向かい、生のサワガニだの謎肉の生サラダだの現地っぽいものをむしゃついた。そのタイ料理屋さんはスナックの居抜きで内装もそのまま。到着時にすでにお正月で浮かれたスタッフと常連さんがなぜかカニ鍋を食べていてバチバチに酔っ払っており、我々の食事が終盤に差し掛かると料理を全て出し終えたシェフが台所から飛び出してきてなぜか常連さんとカラオケを歌い始めた。一体これはなんなんだ。こんなの大丈夫なのかとみんなの反応を心配したけれど全員大笑いしながら一緒に歌いながら横に揺れだしたので安心した

すずめや
1月7日読了時間: 4分
新年あけましておめでとうございます
油没したiPhoneをたよりに名古屋まで出てきました。今のところiPhoneは妙な挙動を見せることなくふつうに動いておりなんだかそれがかえって恐ろしい。いつ発火するかわからないので指すのではなく置くタイプの充電器を持ってきました。 結局大晦日に不貞腐れたせいで元旦は朝からバタバタバタバタしてようよう飛行機に乗り込んだと思いきや雪で出発が一時間遅れ、まわりのちびっこ乗客にはパズルやおもちゃや折り紙が与えられておりわたしもそれがほしいと言い出せないまま、かばんにいれていた"殺戮に至る病"を読み進めるという嫌な年明けになりました。名古屋に着くとちょうどお昼どきで、数少ない営業店舗にはどこもかしこも長蛇の列、開店がはやかろうとあたりをつけた牛丼の松屋にすら並んで入店、侘しく悲しい。お雑煮が食べたかった。 iPhoneがいつ発火するかわからないと怯えて搬入開始一時間前に現地に到着。外で本を読んで待っていたら早めについたみんながぽつぽつとやってきてようやく人心地がつきました。 気心知れたみんながいると思うと落ち込みもあっという間に緩んで、iPhoneの油没も

すずめや
1月3日読了時間: 3分
神も仏も
このブログをパソコンから入力するのは初めてだ。 7年続けてきて初のパソコン入力。 なぜかというとさきほどアイフォンを冷えたてんぷらなべの油のなかに落としたためだ。 今日は大晦日であるが神も仏もない。後厄の最後の日だからしょうがないと考えようとしたが調べてみると厄のあけるのは節分なのだそうだ。クソッタレと天に中指を立ててやったらヤン子がねずみを咥えたまま家じゅうを爆走しはじめた。山のねずみには都会のねずみのようなバイキンの類はないと思うが、ヤン子(みんみも)はねずみを捉えて貪っては消化しきれず内臓を吐き出すので、ヤン子の胃腸のためにもねずみの矜持ある最後のためにも怯える人間のためにもねずみを我が手に取り返さねばならないのだ。 しおしおとしているので白状するけれど今年はかなりしんどい一年だった。何がとは言わないがつらいことが多かった。それでも幸せのほうばっかり数えるようにしていて、覚えるようにしていたけれど。 毎年年末にはなんかそれらしい振り返りブログを書くけれどアイフォンの油没をとどめとして今年の振り返りは来年に持ち越したいと思う。明日から名古屋に

すずめや
2025年12月31日読了時間: 2分
気にしない犬
犬のぬげたはずいぶんマイペースだよなあと思う。 犬といえば人間の友、いつでも目を輝かせて主人を迎えにきたり投げた棒などをとってきたり寂しい時はクンクン鳴いたりするものだと思っていたがぬげたはどれもしない。 ストーブのそばにマットレスをひいてもらってずっとそこでどかんと寝転んでいる。ハイジの犬に憧れて犬枕をしてみたいと何度もチャレンジし続けたおかげで近ごろは犬枕的なことをしても逃げなくなったが嬉しそうではない。 慣れてきてくれて抱きつくこともできるようになったが嬉しそうかというとそうでもない。 今日はつるつるの道を一緒に散歩に行った。 ぬげたは冬になると特に散歩を張り切るように思う。雪が好きなのだ。きのうは雪が降っている中を散歩にいったので興奮して私のことなどお構いなしにすごいスピードで進んでいくので後半はもう息切れしてバテてしまった。 今日は雪が降ってなかったのできのうほどのハイペースではなかったけれど、だけれど。 ぬげたはつるつるの道で足を取られ、転んで地面に手をついたわたしをちらと一瞥するとなんと転んだままのわたしをそのまま引っ張っていこうと

すずめや
2025年12月28日読了時間: 2分


雪かき
今年はほんとにあったかくてきょうようやく今季初のぶっ飛ばし丸(除雪機のこと)を稼働した。 朝のゆるい雪は手作業でとりあえずかいたのだけど雪はやまずに夫の帰宅を待ってのぶっ飛ばし丸稼働と相なった。 久しぶりのぶっ飛ばし丸は片方の回転刃がうまく動かなくなっていてネジを絞めねばならなかったがとても絞めづらい場所にネジがついていて夫はたいへん難儀していた。 雪は美しい。 わたしは冬は木々の枝が白く化粧をしている風景がとても好きだ。別にただのはだかんぼでもコントラストがあって悪くないけれど、無数に伸びる枝々が白化粧をするとぐっと異界の雰囲気になる。昼間ぬげた(犬のこと)の散歩にゆくと白い枝が冬の弱い太陽光に照らされてこまかくひかりを放って、もう四度めの冬だと言うのに何度見てもため息をついてしまう美しさ。 木々は生き物のように能動的に動くわけではないのにやっぱり凍りついてかたまっていると感じる。枝の伸びているのは踊り子の手足のようで、そのせいでなんとなく、綺麗なお人形をみているような気分になる。 球体関節人形に憧れて、そういえば四谷シモンさんの展示に行ったこ

すずめや
2025年12月27日読了時間: 2分
いのことうりり
ここで呼称する彼らについて、もちろん同一個体であるという確証は全くない。希望的観測に基づき固定する呼称であることをご理解いただきこの能天気をご勘弁願いたい。 話は去年の冬まで遡る。 ある日ぬげたの散歩から帰ってきた夫が近くの杉林でイノシシを見たと、見たというにはずいぶん近寄って撮った動画を見せてくれた。そのときギャグマンガ日和のアニメを観ていて、小野妹子が頻繁に登場していたのでそのイノシシのことは猪子(いのこ)と呼ぶことにした。 猪子は杉林の入り口のあたりで自分で穴を掘って小枝なんかを集めて自分の寝床を作っていて、道からも丸見えの場所にいた。だがイノシシの深い茶色の毛皮はいると知らなければそのまま土や小枝の色に溶けてしまうので猪子としては丸見えのことはあんまり気にしてなかったのかもしれない。 会ったばかりのころはなんだか妙にぶるぶる震えていて寒そうにしていた。ぬげたは猪子に近寄っていった。突進の構えをして二、三歩動いてみるものの、しかし猪子はその軽い威嚇だけでぬげた及び我々が近づいてもあまり気にせずそのへんの土を鼻先でほじくり返していた。...

すずめや
2025年12月21日読了時間: 6分


食後に一杯
追われる仕事もなく出張もない、ということでゆっくり過ごしている。 この場所にいると1日がゆっくりと長い。もう12月?なんていう言葉からどんどん感覚が遠ざかっていく。まだ今日だ。小さなころの長い長い一日の感覚。 追われることもないのだからと近ごろ意識的に昼食後に珈琲かお茶を一杯淹れてみている。 だいたい朝から作業漬けで、昼食も夫が作ってくれるのを作業しながら待っていて呼ばれて台所に行く、というかたちでいるのでいままではご馳走様のあとも一本煙草を呑んだら作業途中のアトリエにさっさと戻っていた。それがなんだかふともったいないなと思った。 せっかく追われていないのだからゆっくり茶でも一杯やってみよう。 のんびりするのが下手くそで休憩するのも下手くそなのでそういう意識を持ったことがなかったんだけど、追われてもない仕事をこれだけ休まずにやらざるを得んのならばその詰めている時間を少し伸ばしてみようと思った。この場所の時間は街よりもずっとゆっくり流れるのだから。 昼食後にお茶を一杯淹れることにして、作業台に乗り込んでくる猫をどかすのをやめにして、朝布団の中で丸ま

すずめや
2025年12月18日読了時間: 2分


仙台の街
初めての仙台一週間を終えてなんと今年はこれで出張が終いである。 だいたいこのあといつも愛するクリフェス主宰の大阪うめはんがあって年末を終え、年始は元旦からクリフェス名古屋というそれはそれで幸せな終いと始まりなのだけれど今年は大人の事情で終いのうめはんがなくなったのだ。 岩手でまともにクリスマスをむかえるのは初めてだと思う。それはそれこれはこれとして素敵なことだ。 さて仙台出張のあいだやたらと掌編を書いては壁打ちに投げ続けていて仙台について書いてなかった。 仙台の街はとてもよかった。 とにかくちっちゃな個人店がみんないきいきと個性的でたくさんあった。ジャズバーにライヴレストラン、ロックカフェなんてのも散見されたし、地元の本屋さんが元気に営業していた。 呑み屋も小さくて味なお店がたくさんあった。 くたびれた提灯に古びた壁、引き戸で店内が一切見えない焼き鳥屋さんが歓楽街の真ん中にあって、ラミネートされているのになぜかメニューの字が滲んでいるのを階段先にぶらさげている怪しげなネオンの2階にある焼肉屋さんがあって、漁船の投げる浮きにマジックで店名がシンプル

すずめや
2025年12月11日読了時間: 6分
よもぎ饅頭の昼下がり 後編
よもぎ饅頭はコンクリートの道に出て、でんでこでんでこ転がっていった。からりと晴れはしたものの、道路にはまだ湿り気が残っていて、よもぎ饅頭の柔らかな体もうまく傷つかずに転がってゆけた。おなかのなかのつぶあんは初めてのお外への散歩にそりゃあもうわくわくして、 「ちょっとアンタ、よもぎの生えているところはないのかね。わたし、そこまで行ってお外のよもぎに会ってみたいよ。」 と言った。 「そりゃあいい。あっちの河原まで行ってみよう。それっくらいの距離ならおれの体ももつだろう。」 実際幸福堂からよもぎの生えている河原までは、人間の足で歩いて五分とかからぬ距離にあった。もちろんよもぎ饅頭のよもぎがそこで摘まれたわけではないが、あっちの河原にもよもぎがね、という言葉は客と店員との会話の中でもよく聞く言葉だ。よもぎ饅頭はあっちの河原、と客がいつも指差すほうへとでんでこでんでこ転がっていった。 河原の斜面は薄い草むらで、そこによもぎは生えていた。斜面の先には平たい土の歩道があって、その歩道へ降りるために斜面には石の階段がついていた。よもぎ饅頭はその石の階段をそろりそ

すずめや
2025年12月8日読了時間: 4分
よもぎ饅頭の昼下がり 前編
つまんねえよなあ、とよもぎ饅頭は和菓子屋幸福堂の店頭で毒づいた。 もうずっとずっとつまんねえんだよなあ。 昔はちいちゃな子供が目を輝かせて饅頭を買いに来たってえのになあ。今じゃおいぼれのじじいかばばあか、しゃらくせえ気取った着物のやつがエラソーに買いにくるばかりだものなあ。 とはいえよもぎ饅頭は老人のお八つになることも、茶席の菓子となることも、べつに嫌だというわけではなかった。 顎の弱った老人が、それでも懸命に口を開けて、時にはやわらかく皺の刻まれた唇に触れながら、幸福堂自慢のつぶあんとよもぎの香りを楽しみながらじっくりと咀嚼してくれるのは喜ばしい気分だったし、凛と張り詰めた格式ばった茶席のなかの、ふと空気の緩むその一瞬を担えるのも誇らしい気持ちがした。 そういういつもの場所で、和菓子としての矜持が満たされると、よもぎ饅頭は一層ふっくらとするのだった。 それでもこんな晴れた平日の昼下がり、表のうぐいす色の暖簾の下からお天道様の光がすっと伸びてくるような頃合いには、そののどかさに釣られてあくびも出てきて、なんだか退屈な気持ちを持て余してしまうのだっ

すずめや
2025年12月8日読了時間: 5分


あかるい霧雨の降りつづける国に
金色の姫は森の真ん中へ捨てられた。 反逆が起こり、砂糖菓子の城は細かな粉をあげて崩れてしまったので。 王と妃は砂糖菓子の城の粉で窒息して死んでしまった。 牙のある、黒く固くひかる触覚を持った六本足の虫が土の大地の国からやってきた。大きな顎と溢れるちからで砂糖菓子の城の残骸を自分たちの国まで運搬しにやってきた。黒い虫の隊列は、とにかくすべての残骸を運んでしまうことにした。 土の大地の国へ帰った黒い虫は、ひとまわり小さい黒い虫と手分けして砂糖菓子とそれ以外の残骸をより分けにかかった。そうしてお砂糖でないものは、森の真ん中に捨てられた。 誰かの必要でないものは、森の真ん中でちがう誰かに必要とされる循環があった。 金色の姫は黒い虫の必要なものではなかったので、森の真ん中へ捨てられた。 金色の姫はまだ形もおぼろな幼い姫だった。 もう少し父母のもとで大きくなれば金色でなくなってかたちもしっかりしたのだが、金色の姫にはまぶたがかろうじてあるぎりだった。豊かで柔らかい髪があるぎりだった。 金色の姫はまだ無機物だったので食われはしなかったし、飢えもしなかったが、幼

すずめや
2025年12月7日読了時間: 3分
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