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10年ぶりくらい
10年ぶりくらいのイベントに出展するために東京ゆきの夜行バスを待っている。 そのあいだにわりと長々と思い返しブログを書いていたけれどなんか急にアプリが落ちて全てが水泡。 ふてくされました。

すずめや
3 日前読了時間: 1分


すっきり
なんだかぶすぶすにくすぶりを抱えていたのがここのところすっきりと晴れた。問題が解決したとかそういう具体的なものでもないのだけどケセラセラモードに入った。なるようになる。結局いつも同じでやり続けるしかないんだから。 日本いちのクラフトフェアと名高い長野は松本のまつもとクラフトフェアに応募用紙を出した。提出は期限ぎりぎりだったけれど、それは名古屋でまつもと出展作家に応募用紙の書き方をあーだこーだと教えてもらっていたから。審査があって、落ちたら行けない、受かったら行ける。 手製本というのはクラフトや工芸のジャンルにおいてとても作家数が少ない。生業にしている作家さんにお会いできたのは18年ほどの作家人生の中で片手に足りるくらい。だからずっと、工芸作家たちの舞台に憧れていて、でも諦念が先にあって、憧れているだけだった。 普段でている百貨店や丸善さんでの催事よりも、頭の悪い言い方になるけどクラフトフェアやギャラリー展示というのは高尚なかんじだ。バンドマンに例えたら対バンライブハウスとワンマンドームや夏フェスみたいな差だろうか。 自分を鼓舞しなければ卑下する根

すずめや
1月10日読了時間: 3分
名古屋ラシックありがとうございました
新年の初売りを名古屋ラシックでみんなで迎えるという幸あるスタート、今年も無事に終了しました。やっぱりクリフェスはいい。末永くみんなで過ごしたい。名古屋のお客さまもお馴染みの方から通販しかしたことなかったけど思い切ってお正月に出てきたと言ってくださる方から通りがかりのギャルまで幅広くお手にとっていただきありがとうございました。 エッチなタイプの繁華街にある雑居ビル4階という立地のタイ料理屋さんにお正月は1人で行った。そこがとても美味しかったのでもっといろんなものが食べたいとみんなで向かい、生のサワガニだの謎肉の生サラダだの現地っぽいものをむしゃついた。そのタイ料理屋さんはスナックの居抜きで内装もそのまま。到着時にすでにお正月で浮かれたスタッフと常連さんがなぜかカニ鍋を食べていてバチバチに酔っ払っており、我々の食事が終盤に差し掛かると料理を全て出し終えたシェフが台所から飛び出してきてなぜか常連さんとカラオケを歌い始めた。一体これはなんなんだ。こんなの大丈夫なのかとみんなの反応を心配したけれど全員大笑いしながら一緒に歌いながら横に揺れだしたので安心した

すずめや
1月7日読了時間: 4分
新年あけましておめでとうございます
油没したiPhoneをたよりに名古屋まで出てきました。今のところiPhoneは妙な挙動を見せることなくふつうに動いておりなんだかそれがかえって恐ろしい。いつ発火するかわからないので指すのではなく置くタイプの充電器を持ってきました。 結局大晦日に不貞腐れたせいで元旦は朝からバタバタバタバタしてようよう飛行機に乗り込んだと思いきや雪で出発が一時間遅れ、まわりのちびっこ乗客にはパズルやおもちゃや折り紙が与えられておりわたしもそれがほしいと言い出せないまま、かばんにいれていた"殺戮に至る病"を読み進めるという嫌な年明けになりました。名古屋に着くとちょうどお昼どきで、数少ない営業店舗にはどこもかしこも長蛇の列、開店がはやかろうとあたりをつけた牛丼の松屋にすら並んで入店、侘しく悲しい。お雑煮が食べたかった。 iPhoneがいつ発火するかわからないと怯えて搬入開始一時間前に現地に到着。外で本を読んで待っていたら早めについたみんながぽつぽつとやってきてようやく人心地がつきました。 気心知れたみんながいると思うと落ち込みもあっという間に緩んで、iPhoneの油没も

すずめや
1月3日読了時間: 3分
神も仏も
このブログをパソコンから入力するのは初めてだ。 7年続けてきて初のパソコン入力。 なぜかというとさきほどアイフォンを冷えたてんぷらなべの油のなかに落としたためだ。 今日は大晦日であるが神も仏もない。後厄の最後の日だからしょうがないと考えようとしたが調べてみると厄のあけるのは節分なのだそうだ。クソッタレと天に中指を立ててやったらヤン子がねずみを咥えたまま家じゅうを爆走しはじめた。山のねずみには都会のねずみのようなバイキンの類はないと思うが、ヤン子(みんみも)はねずみを捉えて貪っては消化しきれず内臓を吐き出すので、ヤン子の胃腸のためにもねずみの矜持ある最後のためにも怯える人間のためにもねずみを我が手に取り返さねばならないのだ。 しおしおとしているので白状するけれど今年はかなりしんどい一年だった。何がとは言わないがつらいことが多かった。それでも幸せのほうばっかり数えるようにしていて、覚えるようにしていたけれど。 毎年年末にはなんかそれらしい振り返りブログを書くけれどアイフォンの油没をとどめとして今年の振り返りは来年に持ち越したいと思う。明日から名古屋に

すずめや
2025年12月31日読了時間: 2分
気にしない犬
犬のぬげたはずいぶんマイペースだよなあと思う。 犬といえば人間の友、いつでも目を輝かせて主人を迎えにきたり投げた棒などをとってきたり寂しい時はクンクン鳴いたりするものだと思っていたがぬげたはどれもしない。 ストーブのそばにマットレスをひいてもらってずっとそこでどかんと寝転んでいる。ハイジの犬に憧れて犬枕をしてみたいと何度もチャレンジし続けたおかげで近ごろは犬枕的なことをしても逃げなくなったが嬉しそうではない。 慣れてきてくれて抱きつくこともできるようになったが嬉しそうかというとそうでもない。 今日はつるつるの道を一緒に散歩に行った。 ぬげたは冬になると特に散歩を張り切るように思う。雪が好きなのだ。きのうは雪が降っている中を散歩にいったので興奮して私のことなどお構いなしにすごいスピードで進んでいくので後半はもう息切れしてバテてしまった。 今日は雪が降ってなかったのできのうほどのハイペースではなかったけれど、だけれど。 ぬげたはつるつるの道で足を取られ、転んで地面に手をついたわたしをちらと一瞥するとなんと転んだままのわたしをそのまま引っ張っていこうと

すずめや
2025年12月28日読了時間: 2分


雪かき
今年はほんとにあったかくてきょうようやく今季初のぶっ飛ばし丸(除雪機のこと)を稼働した。 朝のゆるい雪は手作業でとりあえずかいたのだけど雪はやまずに夫の帰宅を待ってのぶっ飛ばし丸稼働と相なった。 久しぶりのぶっ飛ばし丸は片方の回転刃がうまく動かなくなっていてネジを絞めねばならなかったがとても絞めづらい場所にネジがついていて夫はたいへん難儀していた。 雪は美しい。 わたしは冬は木々の枝が白く化粧をしている風景がとても好きだ。別にただのはだかんぼでもコントラストがあって悪くないけれど、無数に伸びる枝々が白化粧をするとぐっと異界の雰囲気になる。昼間ぬげた(犬のこと)の散歩にゆくと白い枝が冬の弱い太陽光に照らされてこまかくひかりを放って、もう四度めの冬だと言うのに何度見てもため息をついてしまう美しさ。 木々は生き物のように能動的に動くわけではないのにやっぱり凍りついてかたまっていると感じる。枝の伸びているのは踊り子の手足のようで、そのせいでなんとなく、綺麗なお人形をみているような気分になる。 球体関節人形に憧れて、そういえば四谷シモンさんの展示に行ったこ

すずめや
2025年12月27日読了時間: 2分
いのことうりり
ここで呼称する彼らについて、もちろん同一個体であるという確証は全くない。希望的観測に基づき固定する呼称であることをご理解いただきこの能天気をご勘弁願いたい。 話は去年の冬まで遡る。 ある日ぬげたの散歩から帰ってきた夫が近くの杉林でイノシシを見たと、見たというにはずいぶん近寄って撮った動画を見せてくれた。そのときギャグマンガ日和のアニメを観ていて、小野妹子が頻繁に登場していたのでそのイノシシのことは猪子(いのこ)と呼ぶことにした。 猪子は杉林の入り口のあたりで自分で穴を掘って小枝なんかを集めて自分の寝床を作っていて、道からも丸見えの場所にいた。だがイノシシの深い茶色の毛皮はいると知らなければそのまま土や小枝の色に溶けてしまうので猪子としては丸見えのことはあんまり気にしてなかったのかもしれない。 会ったばかりのころはなんだか妙にぶるぶる震えていて寒そうにしていた。ぬげたは猪子に近寄っていった。突進の構えをして二、三歩動いてみるものの、しかし猪子はその軽い威嚇だけでぬげた及び我々が近づいてもあまり気にせずそのへんの土を鼻先でほじくり返していた。...

すずめや
2025年12月21日読了時間: 6分


食後に一杯
追われる仕事もなく出張もない、ということでゆっくり過ごしている。 この場所にいると1日がゆっくりと長い。もう12月?なんていう言葉からどんどん感覚が遠ざかっていく。まだ今日だ。小さなころの長い長い一日の感覚。 追われることもないのだからと近ごろ意識的に昼食後に珈琲かお茶を一杯淹れてみている。 だいたい朝から作業漬けで、昼食も夫が作ってくれるのを作業しながら待っていて呼ばれて台所に行く、というかたちでいるのでいままではご馳走様のあとも一本煙草を呑んだら作業途中のアトリエにさっさと戻っていた。それがなんだかふともったいないなと思った。 せっかく追われていないのだからゆっくり茶でも一杯やってみよう。 のんびりするのが下手くそで休憩するのも下手くそなのでそういう意識を持ったことがなかったんだけど、追われてもない仕事をこれだけ休まずにやらざるを得んのならばその詰めている時間を少し伸ばしてみようと思った。この場所の時間は街よりもずっとゆっくり流れるのだから。 昼食後にお茶を一杯淹れることにして、作業台に乗り込んでくる猫をどかすのをやめにして、朝布団の中で丸ま

すずめや
2025年12月18日読了時間: 2分


仙台の街
初めての仙台一週間を終えてなんと今年はこれで出張が終いである。 だいたいこのあといつも愛するクリフェス主宰の大阪うめはんがあって年末を終え、年始は元旦からクリフェス名古屋というそれはそれで幸せな終いと始まりなのだけれど今年は大人の事情で終いのうめはんがなくなったのだ。 岩手でまともにクリスマスをむかえるのは初めてだと思う。それはそれこれはこれとして素敵なことだ。 さて仙台出張のあいだやたらと掌編を書いては壁打ちに投げ続けていて仙台について書いてなかった。 仙台の街はとてもよかった。 とにかくちっちゃな個人店がみんないきいきと個性的でたくさんあった。ジャズバーにライヴレストラン、ロックカフェなんてのも散見されたし、地元の本屋さんが元気に営業していた。 呑み屋も小さくて味なお店がたくさんあった。 くたびれた提灯に古びた壁、引き戸で店内が一切見えない焼き鳥屋さんが歓楽街の真ん中にあって、ラミネートされているのになぜかメニューの字が滲んでいるのを階段先にぶらさげている怪しげなネオンの2階にある焼肉屋さんがあって、漁船の投げる浮きにマジックで店名がシンプル

すずめや
2025年12月11日読了時間: 6分
よもぎ饅頭の昼下がり 後編
よもぎ饅頭はコンクリートの道に出て、でんでこでんでこ転がっていった。からりと晴れはしたものの、道路にはまだ湿り気が残っていて、よもぎ饅頭の柔らかな体もうまく傷つかずに転がってゆけた。おなかのなかのつぶあんは初めてのお外への散歩にそりゃあもうわくわくして、 「ちょっとアンタ、よもぎの生えているところはないのかね。わたし、そこまで行ってお外のよもぎに会ってみたいよ。」 と言った。 「そりゃあいい。あっちの河原まで行ってみよう。それっくらいの距離ならおれの体ももつだろう。」 実際幸福堂からよもぎの生えている河原までは、人間の足で歩いて五分とかからぬ距離にあった。もちろんよもぎ饅頭のよもぎがそこで摘まれたわけではないが、あっちの河原にもよもぎがね、という言葉は客と店員との会話の中でもよく聞く言葉だ。よもぎ饅頭はあっちの河原、と客がいつも指差すほうへとでんでこでんでこ転がっていった。 河原の斜面は薄い草むらで、そこによもぎは生えていた。斜面の先には平たい土の歩道があって、その歩道へ降りるために斜面には石の階段がついていた。よもぎ饅頭はその石の階段をそろりそ

すずめや
2025年12月8日読了時間: 4分
よもぎ饅頭の昼下がり 前編
つまんねえよなあ、とよもぎ饅頭は和菓子屋幸福堂の店頭で毒づいた。 もうずっとずっとつまんねえんだよなあ。 昔はちいちゃな子供が目を輝かせて饅頭を買いに来たってえのになあ。今じゃおいぼれのじじいかばばあか、しゃらくせえ気取った着物のやつがエラソーに買いにくるばかりだものなあ。 とはいえよもぎ饅頭は老人のお八つになることも、茶席の菓子となることも、べつに嫌だというわけではなかった。 顎の弱った老人が、それでも懸命に口を開けて、時にはやわらかく皺の刻まれた唇に触れながら、幸福堂自慢のつぶあんとよもぎの香りを楽しみながらじっくりと咀嚼してくれるのは喜ばしい気分だったし、凛と張り詰めた格式ばった茶席のなかの、ふと空気の緩むその一瞬を担えるのも誇らしい気持ちがした。 そういういつもの場所で、和菓子としての矜持が満たされると、よもぎ饅頭は一層ふっくらとするのだった。 それでもこんな晴れた平日の昼下がり、表のうぐいす色の暖簾の下からお天道様の光がすっと伸びてくるような頃合いには、そののどかさに釣られてあくびも出てきて、なんだか退屈な気持ちを持て余してしまうのだっ

すずめや
2025年12月8日読了時間: 5分


あかるい霧雨の降りつづける国に
金色の姫は森の真ん中へ捨てられた。 反逆が起こり、砂糖菓子の城は細かな粉をあげて崩れてしまったので。 王と妃は砂糖菓子の城の粉で窒息して死んでしまった。 牙のある、黒く固くひかる触覚を持った六本足の虫が土の大地の国からやってきた。大きな顎と溢れるちからで砂糖菓子の城の残骸を自分たちの国まで運搬しにやってきた。黒い虫の隊列は、とにかくすべての残骸を運んでしまうことにした。 土の大地の国へ帰った黒い虫は、ひとまわり小さい黒い虫と手分けして砂糖菓子とそれ以外の残骸をより分けにかかった。そうしてお砂糖でないものは、森の真ん中に捨てられた。 誰かの必要でないものは、森の真ん中でちがう誰かに必要とされる循環があった。 金色の姫は黒い虫の必要なものではなかったので、森の真ん中へ捨てられた。 金色の姫はまだ形もおぼろな幼い姫だった。 もう少し父母のもとで大きくなれば金色でなくなってかたちもしっかりしたのだが、金色の姫にはまぶたがかろうじてあるぎりだった。豊かで柔らかい髪があるぎりだった。 金色の姫はまだ無機物だったので食われはしなかったし、飢えもしなかったが、幼

すずめや
2025年12月7日読了時間: 3分


革靴ははじめて空を歩いた
革靴は時の止まったデパートの紳士服売り場にかかとをあげてすわっていた。 そのあたりに住む紳士が絶滅して数年になるが、時の止まったデパートのなかでは従業員もみな止まっているので紳士服売り場はずっとそこにあって、革靴もただずっとそこにいるのだった。 退屈のあくびも吐き尽くして、やわらかに笑んだまま止まっている従業員にもうすく重なってゆくほこりの層が目立つようになってきたころ、スイスから時計職人がやってきた。 時計職人は遠くの土地から旅をしてきた紳士で、仕事中にジャケットの裾のボタンをひっかけてしまったのだった。 機械油の染みがうすくこびりついているシャツも新調したかったので、時計職人は時の止まったデパートの、一階吹抜けの大時計を直すことにした。 ぬいぐるみ売り場のバックヤードに積まれていた、いちばん大きなテディベアを納めるためのいちばん大きな箱をいくつも積み上げて階段をつくり、時の止まった時計の顔をぎいと開いた。 時計職人が仕事を終えたのはきっかり午後の二時、大時計のからくり扉から二匹のブロンズの象がでてきてぱおんぱおんと鳴いた。...

すずめや
2025年12月6日読了時間: 5分
蕎麦屋のあかり
鴨南蛮のあぶらはつゆの上でみんなで手を取り合ってひとつのまんまるのあぶらになると、まんまるのままどんぶりから浮かんでゆき、蕎麦屋の天井であかりになるのだ。 鴨南蛮のあぶらたちはみんなそれを知っていて、真っ暗な胃の中に流し込まれるよりも、いつか天井で店じゅうを照らしながら蕎麦屋のお客を眺めていたいと思っているのだ。 次にやってくる新しい鴨南蛮を、仲間になるあかりを、今か今かとわくわくしながら待ち続けたいと思っているのだ。 だが蕎麦屋のお客はみなせっかちなので、なかなかあぶらたちはあかりになれないのだった。 夏の間は特に、鴨南蛮よりも鴨せいろが選ばれる。 近ごろ夏が長くなったので、あかりたちの首もうんと長くなるのだった。 鴨せいろのつゆのうつわは小さいので、鴨せいろのあぶらがまんまるになっても、浮いてくる途中で夏の陽射しに灼かれて消滅してしまうくらい弱いのだ。 さあ蕎麦屋に飲兵衛がやってきた。 飲兵衛たちは蕎麦を食べる前に、たこわさだのそばがきだのお揚げの焼いたのだの天ぷらだのをつまみながらだんだん愉快になってゆくので、せっかちなお客に慣れたあかりた

すずめや
2025年12月6日読了時間: 4分


新しい足
神戸のイベントはなんだかものすごかった。 こういう言い方は良くないと思いつつ素直に言ってしまうと作家さんたちのレベルがすげ〜高かった。 全員隙なくおしゃれで洗練されており、なんだこの会場は!と気圧され思わずおのぼりテンションになってしまった。 なのに関西人の気質からか、みなさん朗らかで人懐こく話してくださり、ずっとしつこく憧れていた町中華に四人も連れ立ってゆくことができた。 その町中華はいつかの神戸出展の際に宿の近くにあったおじいさんとおばあさんの営む中華料理屋で、昔ながらの日本人が営む町中華個人的鉄板メニューのオムライスがあった。 そのときはどうしても時間の都合が合わず(ご老体が営んでおられるので閉店時間が早めだったのだ)、泣く泣く諦めたが、今回もまた同じ宿をとることで次こそあの中華屋さんに行くぞと意気込んでいた。 前日の晩からインターネットに転がっているメニュー表の写真をとっくりと眺め、朝から何を頼むかしつこく組み合わせを考えていたが、四人で行くことができたのであれもこれもと頼むことができて夢が叶った。 神戸の餃子は味噌で食べるというのは一度

すずめや
2025年12月1日読了時間: 4分


さて神戸
11月から12月あたまの仙台藤崎までほんとうにほんとうにばかみたいな仕事の入れ方をしてしまった。 今日は朝から神戸に向かって搬入で、仙台行きの電車のなかだがもうなんとなく泣きそう。 おとといくらいから静かにパニックを起こしておりきょうも朝早く起きて混乱していた。 間に合わない、足りない、というのが本当に嫌だ。 嫌だからこそ、怖いからこそ、余裕を持って粛々と常に仕事を進めているけれどぜんぶがうまくいくことはない。 こうやって詰めすぎるとだめになるんだ。 とはいえむやみに凝ったことにも手を出していた。 珈琲豆はいつも手網で自家焙煎をしているのだけど、ついにブレンドに手を出したのだ。 二種の生豆を取り寄せ(生豆は常にネット通販だ)、珈琲狂のブログ記事を読み漁り、チャッピーにも相談を重ね、中煎りのマンデリンと中深煎りのガテマラをとりあえず7:3でブレンドしてみる。 冷め始めた頃合いにマンデリンの甘みとガテマラの華やかさが開いて、後味も快く残った。 少々酸味が気になったので次はマンデリンをもうすこし深く煎ってみよう。 仙台駅に行くのは新幹線だ。...

すずめや
2025年11月28日読了時間: 3分


みんみの変化
近ごろ長男坊猫のみんみは少し変わってきた。 彼はびびりの王子様といった風情でびくびくしているわりに陰でやんちゃをするタイプだったけれどなんだか近ごろはびびりがずいぶん影を潜めている。 作業でしょっちゅう使う水の入ったスプレーにびびって寝ていても逃げ出すくらいだったのに、今日はスプレーを使っている作業台の上にでんと乗り、こちらをじっと見ていた。 尻を叩いて欲しいのだ。 こちらを見ながらこれ見よがしに作業中の本に頬擦りをして崩そうとするのでわたしはこれ!と言って立ち上がった。 以前までのみんみならばその時点で大慌てで台から飛び降りて逃げていくところだが、いまのみんみはそらきた!というかんじで尻を高く上げ尻尾を立てて尻たたきを要求する。 (だいたいの猫は尻を叩かれるのが好きだ。性感帯という説もあるらしい。) 遠い近所からやってきたよその猫ちゃんを窓越しに聞いたこともないものすごい唸り声で威嚇する。 夫はこの様子を見てみんみに家主としての心構えができたのだと言った。 この家は僕の縄張りだと主張しているのだ。 ちなみに最近唸られているこの猫ちゃんは鼻から口

すずめや
2025年11月22日読了時間: 2分


ゆるみ
京都から帰ってきた次の日に初雪が降って、朝はしばらく霜がおりて、昼間もたいそう寒く冬が来てしまったかと観念したけれど今日からしばらく寒さがゆるくなるみたい。 日暮れから雨が降り始めて、この時期の雨はひと雨ごとに冷えていくのが定石だけどしばらく雨のおかげであたたかい日が続くようだ。 とはいえ台所の薪ストーブは一日中焚いている。 前の冬の終わりにホームセンターで安くなっていたので鋳物のストーブがきた。 大家さんの残してくれた北の国からに出てくるようなストーブよりもだいぶ重厚感があって火持ちが良い。 前のストーブはその場で火を焚いているなあというかんじの直接的なあったかさで、それはそれでよかった。 いまの分厚い鋳物のストーブはゆるくずっとあったかい。 夜中にトイレや喉の渇きで起きるとストーブのなかはかすかな熾火になっていて、そこに木っ端や木の皮を少々足して火を起こして薪を足す。 それで朝まで火が持って、ゆるい暖かさは玄関の方にまで漂っている。 玄関を挟んで台所の反対側にあるアトリエの薪ストーブは薪屋のまきじいが安く譲ってくれた鋳物の、かなり大きなものだ

すずめや
2025年11月20日読了時間: 4分


ちいさな町
えっちらおっちら京都にやってきた。 いわて花巻空港からの神戸便がなくなってしまったので京都にはずいぶん来づらくなった。 加えて今回は宿を取るのが遅れちゃって(またかよというかんじだが)、何年振りかのゲストハウス泊。 これがなかなかしんどくて、まだ一泊しただけだけれどしょぼくれてしまっている。 まだしつこく咳が出ているので気まずいし、鼻を思いっきりかみたいのにドミトリールームではそれも憚られる。 二段ベッドの上部になってしまって、トイレに降りるのも気を使う。 朝の身支度もシャワーもトイレも共用スペースで、岩手で人と隣り合わせになるということ自体が減ってしまったわたしには窮屈で肩身がせまい。 ということで朝はさっさと起きて外に出た。 京都に住んでいた頃は小さな自転車で毎日のように走り回っていた町をてくてく歩く。 愛していた地元密着スーパーのハッピー六原は健在、よくお肉を買っていたお肉屋さんは住んでいた頃代替わりをするかどうかくらいのタイミングだったと思うが、二代目?はうまくやったようで綺麗に改装されていた。 奥で包丁を振るう職人のなかに、昔いつもより

すずめや
2025年11月14日読了時間: 3分
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