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蕎麦屋のあかり

  • 執筆者の写真: すずめや
    すずめや
  • 2025年12月6日
  • 読了時間: 4分

鴨南蛮のあぶらはつゆの上でみんなで手を取り合ってひとつのまんまるのあぶらになると、まんまるのままどんぶりから浮かんでゆき、蕎麦屋の天井であかりになるのだ。

鴨南蛮のあぶらたちはみんなそれを知っていて、真っ暗な胃の中に流し込まれるよりも、いつか天井で店じゅうを照らしながら蕎麦屋のお客を眺めていたいと思っているのだ。

次にやってくる新しい鴨南蛮を、仲間になるあかりを、今か今かとわくわくしながら待ち続けたいと思っているのだ。

だが蕎麦屋のお客はみなせっかちなので、なかなかあぶらたちはあかりになれないのだった。

夏の間は特に、鴨南蛮よりも鴨せいろが選ばれる。

近ごろ夏が長くなったので、あかりたちの首もうんと長くなるのだった。

鴨せいろのつゆのうつわは小さいので、鴨せいろのあぶらがまんまるになっても、浮いてくる途中で夏の陽射しに灼かれて消滅してしまうくらい弱いのだ。


さあ蕎麦屋に飲兵衛がやってきた。

飲兵衛たちは蕎麦を食べる前に、たこわさだのそばがきだのお揚げの焼いたのだの天ぷらだのをつまみながらだんだん愉快になってゆくので、せっかちなお客に慣れたあかりたちは飲兵衛が来ると少し楽しかった。

特にあたまのはげた飲兵衛などは、酒が進むにつれ、自分のあたまにあぶらを浮かせてあかりのひかりをきらきらと跳ね返すのであかりたちもなんだかつられて愉快になるのだ。

やってきた飲兵衛は五人組で、灰色のうすらはげと黒色の剛毛と栗色のつやつやのと黒色のつやつやのと、はげたのがいた。あかりたちは天井で拍手喝采、はげたのがきらきらあかりを跳ね返し始めるのをわくわく待った。

しかし酒宴が始まっても、はげたのはつまみを食べながら茶を啜るばかりであった。それでもほかの四人の飲兵衛たちはかしましくけたたましく話していたので、あかりたちはその話を聞くのに夢中になって、そのうちはげたのを気にしなくなった。

さて〆の蕎麦の時が来た。飲兵衛たちはもりそばを四つ、鴨南蛮をひとつ頼んだ。

オヤ、と天井であかりたちはざわついた。

鴨南蛮ははげたのの目の前に供された。

〆の蕎麦を啜るあいだ、すこし静かになった飲兵衛たちのうち、黒色の剛毛が「おれはこの蕎麦つゆで酒が呑めるぞ」と言い出した。灰色のうすらはげがそれは確かにと調子を合わせ、二人はとっくりをもう一本注文した。

栗色と黒色のつやつやたちは、そんならわたしらはこの豆乳アイスを食べると言い出して、酒を呑んでいないはげたのはどんぶりを前にすこしうつむいてしまった。

あかりたちは知る由もないが、はげたのはすこし前まで四人に負けず劣らぬ立派な飲兵衛だった。ちかごろお医者に止められて、飲兵衛をやめてみているのだが、呑みの誘いを断れずにいつもの飲兵衛たちと連れ立って蕎麦屋に来てしまったのだった。

みんながもりそばで〆るなか、値の張る鴨南蛮をひとり頼んだのは、はげたののささやかな杯であった。しかしそのささやかな杯も、目の前で二次会を開始せんとす仲間の前では色褪せてしまった。はげたのはうつむき、もうとっくに食べてしまった蕎麦のどんぶりを見、まだ残っているつゆに浮かんでいる鴨南蛮のあぶらを綺麗だなあと思った。つと箸をとり、つと箸の先であぶらとあぶらをくっつけて、まんまるの大きなあぶらを作りはじめた。

あかりたちは色めきたった。

どんぶりの中のあぶらも色めきたった。

はげたのはとってもまるいあたまをしているのだから、きっとあぶらをまんまるにまとめてくれるに違いない。

はげたのがうつむいてあぶらをつついているあいだに二本目のとっくりが運ばれ、三本目と四本目は熱燗であった。

くちた腹に熱燗を滑り込ませる段になると、飲兵衛たちもおとなしくなって、はげたのが向かい合っているどんぶりのあぶらをなんとなくみんなで見つめていた。

「これで、最後。」

そうはげたのがつぶやくと、飲兵衛たちは持っていたお猪口を置いて身を乗り出した。

ぷつ、と音が鳴りそうな気配だけを漂わせて、どんぶりのなかにまんまるのあぶらができあがった。

わっという飲兵衛たちの歓声に混じって、ぱーぷーとおもちゃのらっぱのような音が鳴った。

まんまるのあぶらは飲兵衛たちの見守るなか、どんぶりからしずしずと浮かんでゆき、卓の上のあかりのなかに溶けていった。

飲兵衛たちは大歓声で笑ったが、ひとり素面のはげたのはぽかんとするばかりだった。

そこへ大将が蕎麦湯のおかわりを持ってやってきて、あれは昔馴染みの豆腐屋のらっぱで、鴨南蛮のあぶらがあかりになるときはわざわざ鳴らしに来てくれるんだ、と誇らしそうにすこし笑って言った。

 
 
 

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