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存在の耐えられない軽さ

  • 執筆者の写真: すずめや
    すずめや
  • 2024年7月26日
  • 読了時間: 2分

タイミングが悪い方もおられるかもしれないので先にお断りをいたします。

いまからうんこの話をします。






ミラン・クンデラの存在の耐えられない軽さを読み進めていて、後半に差し掛かり興味深い文面をみた。

二世紀に生きたキリスト教の聖職者、ヴァレンティノスは、イエスは食べ、飲みはしたが、排便はなさらなかったと主張したとある。

そこから糞が悪より悪いということについて論が進みキッチュ(俗悪なるもの)のなんたるかという話に進んでゆく。

その展開もめくるめく面白さであったけれどもいったんそれは置いておいてまずこのヴァレンティノスの主張を読んでびっくりしたのは"アイドルうんこしない説"が19世紀も前から提唱されていたということだ。

そして今現在、アイドルだって人間、アイドルだってうんこをするということがなんとなく盲目のファンたちにも理解されはじめ、この神話が崩れつつある。

小耳に挟んだ話では、いまどきの男子小学生のあいだで、うっかり学校のトイレの個室に入ってしまい、うんこマンとからかわれるあれ、あれもなくなりつつあるんだそうだ。

大森靖子はとあるアイドルのことばを引用して"ピンクのマシュマロが出ます"と歌ったけれども、それはいかに神聖なるものと見る視線が強かろうがクンデラの言うキッチュに覆われたものにすぎないという通じる主張を感じさせる。


20世紀もずっとそう考えられてきたものが21世紀のいま覆りつつある。

これってわたしたちものすごい転換点に生きているんじゃないかと興奮した。

戦争がおこり疫病が蔓延し気候が変動している、そのどれひとつをとっても生きているうちに起こるなんて思わなかった事象だけれども人間の内面世界においても大規模な変動が起こっているのだ。

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