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いわて銀河マラソン

  • 執筆者の写真: すずめや
    すずめや
  • 7 時間前
  • 読了時間: 3分

今年もこの日がやってきた。

50キロや70キロや100キロを朝の四時とかから走り続けるいかれたランナーたちを労る場所を集落のみんなで運営する日だ。毎年わりあい楽しみにしている。


マラソンランナーたちはぱっと見たところみんな細っこくてひょろりとしていてなんなら白っぽい。私服でいたらずいぶんか弱そうに見えるだろうなという人が多いように思う。けれど彼らは100キロを走るランナーなのである。

我々の運営するエイド(休憩所のことをマラソン用語でそう呼ぶらしい)は100キロ走る人々からすると86.3キロ地点。フルマラソン2回ぶん、とうに走った距離。細っこい肉体にはよく見るとしなやかに無駄のない筋肉がひっそりとへばりついており、なめらかである。上気を通り越して真っ赤になった皮膚、あれは日焼けだろうか、筋肉をあまりに使ったための炎症だろうか。


ランナーたちは正しく明るく礼儀正しい。

わたしのような人種が普通に過ごしていたらまず出会わないタイプの人間がものすごい勢いでものすごくたくさんの数、目の前を通り過ぎ、みんなで用意したテントの下で休み、飲み物を飲み、くだものや酢飯を口に押し込み前を向いて走っていく。

文字通り死ぬほど走って、まだまだ走っていく途中だというのに、とってもとっても苦しいだろうに、ランナーたちはコップに手を伸ばす前に、くだものに手を伸ばす前に、きちんといただきますと言い、ありがとうございますと言い、ごちそうさまを言う。わたしだったらそんな余裕はない。ありえない。肉体的にもおそらく異常な状態で苦しみのなか目の前の見知らぬ人間に礼を尽くすことなどできるはずがない。ランナーは人間力がすごい。人間力なんて市井ではとても軽薄な言葉だけれどあのランナーたちの礼には敬意を持って人間力という言葉を使いたい。


そしてそういう敬服すべき人間たちに、きょう、わたしは冷たい水をぶっかけるという仕事をやった。


大人がひとり、入れるほどのでかいバケツに我が集落自慢の(?)湧き水をホースでじゃぶじゃぶにし続ける。それをひしゃくで持ってランナーたちは熱ったからだを冷やすのである。ざばんと自分の体にかけるのだ。

ランナーたちの着衣はびしょびしょになっても重たくなったり動きづらくなったりしないような作りになっているみたいだ。汗だくになるんだから当然だ。ひしゃくで水を掬い、あたまからかぶる。その冷たさに歓喜の声をあげる。

水かけ隊は基本的におちびたちの仕事なのだが今回すこしだけ代わってもらった。ひしゃくを手に持ち、やってきたランナーにそれとわかるようにすこし手を動かすと、ランナーたちはそれぞれ、手だけにお願いします、とか肩から腕に、とか、もちろん自分でやりますと言う人もいるが、けっこうこちらに水をかけさせてくれる。ひしゃくを持つのすら辛いような人も、きっといたに違いない。


それでだ。

ランナーたちは、頭から水をかぶりたがるのだ。

根性が座っていて挑戦を諦めず、常に前を向き礼も忘れぬ素晴らしき人間であるランナーたちがわたしのようなクソ根暗の前に駆け込んできてこうべを垂れる。


あたまお願いします。

ざばん。

もう一杯お願いします。

ざばん。

ありがとうございます!


顔を上げた彼らの笑顔に弾ける水のつぶはきらきらと輝き、それは彼らがいままでの道程のなかこしらえた尊い汗のひかりとわたしのぶっかけた水のひかりとが混ざったきらきら。


こんな爽やかな催しにありえぬ背徳。

こんなことがあっていいのか。

こんなことが。


空は青く澄み渡り樹々は深く青く、美しい六月の風は甘く薫る。そんな場所にて、わたしは涎の出るような背徳を手にしていた。






 
 
 

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日記

オレンジ色のきいちごが実り、くわの実はまだもうすこし。 犬を連れ歩く合間にむしりとって食べる。甘いのとすっぱいの、食べてみるまでわからない。小さいころ通学路に鈴なりになっていたきいちごを執拗に食っていたことを思い出す。大人になってもやることがかわらない。 薪屋のまきじいがお家の解体で出た柱やなんかをでかいトラックにのせて譲ってくれた。丸鋸で切り刻んで薪にしているのをみて電気チェンソーを貸してくれた

 
 
 

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