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  • 執筆者の写真すずめや

子どもの家

今日はすごい雪の日だった。

昨日は吹雪だったけれど今日はしんしんとひたすら積もる雪の日だった。

朝と昼過ぎと、2回も雪かきをした。


夫の休みの日だったので雪かきは順調に進んだ。

順調に進んだので雪国初体験の我々は雪遊びがしたい。

これからが大変なのはわかっているけどまだまだはしゃいでいる。

集落のお兄さんが限界がきたらトラクターを出してくれると言ったのやし大丈夫だとかまえてしまっているのもある。

大家さんが小屋に残していった子ども用のそりをみつけて道路でそり遊びをした。

ここいらには人は滅多にいないし隣ともとーっても離れているのでマリオカートのマリオよろしく大声ではしゃぎ倒していたところ角を曲がったところに側溝にハマって斜めになっている軽トラックがあった。

ものすごいはしゃぎぶりだったのが急に申し訳なく思えて大丈夫ですかと声をかけたらもう助けは呼んであるから大丈夫だよとのこと。

斜めになっていたおじさんはいい歳こいてそりにのって奇声をあげ、そりを引いて去る我々を見てどう思っただろうか。

能天気ですみません。


家は広さにまかせてなかなかの散らかりぶりである。

床が抜けているために、家具を揃えることができずにいる。

家具がないとものの場所がきまらないため、服はその辺に散らばり山となり(また冬用の服たちはかさばるかさばる)、本もそこらじゅうに小山を成しており、その隙間にアヒルちゃんの雪玉が作れるおもちゃとか夫が山から拾ってくる水晶とか領収書とかお菓子とか書類とかなんかはちゃめちゃにごちゃごちゃしている。

薪のそばでふかふかの猫がでんとしており、茶白の仔猫がそこらじゅうを駆け回り、かめきちはエサクレダンスを踊る。

我々はずいぶん子どもに戻り、変な喋りかたや鳴き方でにやにやしながらコミュニケーションをとっている。

ひとりは好きにものをつくり、もうひとりもそのときどきで夢中になるものをうまくみつけて好きに過ごしている。

家ははちゃめちゃであるがふかふか猫をのぞいてみながだらだらしてることはほとんどない。

いつもなにかを一生懸命好きにやってるし、なにかを咎められることもあまりない。

いたずらは咎める。


大人は大人になってからでも子どもに戻れるのだ。

それは運も努力も必要なことだったけれど、いやほんとうにしんどい日々でしたけれど、報われることもあるのやな。

想像以上に良き日々だ。

しんどいころにきっと岩手では幸せに暮らせるはずだと励まし合っていたのが霞の向こうにぼんやりみえる。


記憶の上ではあんまり幸福な子どもではなかったため、はじめは自分の人生にこんなにいい生活があるとは信じがたかったけれど、家を見回すと子どもだけの住んでいる家みたい。

楽しむことや幸福に対して、心の中では及び腰でいたけれど、客観的に家を見回したりこうやって日記を書いたりしているとわかる。

思うよりも先に、思うよりもずっと、楽しく暮らしているのや。



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