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  • 執筆者の写真すずめや

呑むように読む

久しぶりに知り合いの作家さんとの合同出展で、お店も東京に比べてのんびりとした雰囲気で、早番遅番の交代もできて、だから久しぶりに小説を買った。

ここのとこ数年、買う本は文学という厳めしい名前が似合うような本、もしくは暮らしに必要な図鑑の類、もともと古い本が好きなのでいま生きている作家の本を読むのは本当に本当に久しぶりな気がする。

(じつはそうでもないけど)


薄めの文庫本ではあるけれどももう6冊も読んでしまった。

モーニング文化の国、名古屋ではいまだ古びた、灰皿のある喫茶店が山とあり、出勤前のゆったりとした時間がたっぷりある。

厚切りの、バターがたっぷり染みた山食のトーストにゆで卵、しっかりとした味わいの珈琲。

夜は小さなわたしの部屋に逃げるように帰って誰かが清潔にしてくれたベッドに倒れ込んで本を捲る。


ずいぶん長いことこんなにたくさん本を読むことがなかった。

ずうっとバタバタしていたし、新しい家のおっきなお風呂で本を読むのは日課だけれど、お湯につかったままではそう長く読めないし、かといって移動時間に本に没入できるほどあたまも整理されていなかった。

今回の出張では諦めて本を持ってこなかったほど。

いつでもお出かけには本が一緒なのに。

なのにそうしたらぽかんと時間が空いて、そういえばこれ気になってたなって本がそばに並んでいて、驚くほどするりと読んで、じゃあ、あれもこれもと増えた。


喉が渇いていたのだと思った。

自分でも驚くほどのスピードで読んでいる。

文章が脳にするりと入って、文字が空気になる、香りまでする、人物の汗ばんだ皮膚が見える、そういう大好きな経験からなんでこんなに遠ざかっていたんだろう?

ずっと本屋さんに出稼ぎに来ていたというのに。


一緒に来ている作家仲間が、初日にいちど止まることはクリエイションにとってとても大切なことで、こういう時間があることでひとつ次元があがるんだよって聞いたと教えてくれた。

くらしぜんぶが創作の場であるわたしには、こうやって止まっていることはすこしじれったいような、あせってしまうようなことだったのでそのことばでとても深い息ができた気がする。

とっても、必要なこと、ぜんぶ。



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