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  • 執筆者の写真すずめや

世界が消えてった夜も

"世界が消えてった夜も、

世界が消えたということがあった"

わたしのロックスターのうたの一節。


小さな小学校に併設されている小さな図書室の本を全部読み尽くすようなこどもでした。

学年ひとクラス。

中学校になったら、近くの(遠いけど)小学校とふたつ合わさって学年ふたクラスになるくらいの田舎でした。

本を読み尽くしても、わたしひとりの世界が広がるばかりで、周りは誰もそんなふうに世界を持っていないように感じて、卵の殻の中で育ちすぎちゃったような苦しさがあって、通学路にある公衆電話で、地元唯一のマンモス中学校に電話をかけたことがあります。

ひと学年8クラスもあって、私立ですから、いろんなところから人が集まって、音楽の専門科があったり、英数科というのがあったりして、広大な場所に見えました。


そのマンモス中学校は、私立で学費がとっても高い。

自営業のうちで長女で育ったわたしは、両親に口酸っぱく、うちにはお金がないんだということを言われており、そんなところに行けるわけがないのはわかっていました。

だから片道徒歩で1時間の通学路にある公衆電話を選んで電話をかけた。そんな大それた夢に気づかれないように。

なにを喋ったんだったか、電話をかけて、何かをお話ししたと思う。

馬鹿正直に実家の住所か電話番号かを聞かれて、言ってしまって、あとからばれたんだけど。

ばれてしまって両親に、行かせてやれなくてごめん、と謝られて、こんな話をさせたくなくてわざわざ公衆電話に行ったのになあ、と思った。

そんなこと言えなくて拗ねたふりか怒ったふりかしたと思う。

なんだかそのとき、あの日、公衆電話のなかにでかい赤いランドセルを背負ってぎゅうと詰まっているわたしのことを、見てきたように風景で思い出す。


まあそりゃあそれなりに色々ありましたけど、

小さな小学校や中学校のここが嫌だ!という気持ちより、ここはもう狭いんだ、という気持ちのほうが強かったんだろなと思う。

やっぱり状況が許さなくて、苦しいまんま中学校に進んで、なんかぶっ壊れてしまったりもしたんですけど、どうにか高校ではそのマンモス校に行くことができました。

そこで音楽に出会った。

音楽が手を引いて芸術に出会わせてくれた。

いまは、芸術家のはしくれであるのだと思っています。


ランドセルのなかに、誰にもばれないように、あの広大な学校の電話番号を忍ばせて、あのときわたしはドン・キホーテでありました。

何倍か歳を食ったいま、同じようにいる場所が狭くなっちゃって、広いところに行こうとしている。


けれどずいぶん大人になって、育ててくれたたくさんのこともわかって、こんどは自分で行けるんだな。

電話ボックスに詰まっていたあの頃の自分に、ばばんとドアを開けて大丈夫だよ!って言ってやりたい気持ちもするけれど、"世界が消えてった夜も世界が消えたということがあった"んで、あのときのあの子はそのまんま、それでもこんなとこまできたよって、次のわたしが言うんだろうな。


重ねていくと言うのは本当に途方もないことだ。


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