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忙しいとは

  • 執筆者の写真: すずめや
    すずめや
  • 8月27日
  • 読了時間: 2分

大阪うめだ阪急での一週間、お付き合いくださりありがとうございました。


ちかごろお客様にも身内にも作家仲間にも口々に忙しそうだね大丈夫?と言われることが増えた。

実際はただの貧乏暇なしなんだけれど、まだまだ月末の支払いに脂汗をかくような状態なんだけれど。


雰囲気だろうか。

32か33を超えてからくらい、余裕がありそうとか都会的な雰囲気だとか大人っぽくなったと言われることが増え、実際は山の中の一軒家で朝からすっぴんねぐせでひたすら作業をして畑で草をむしったり猫を揉んだり犬を揉んだりしているのに真逆の印象を与えるようになったみたいだ。


忙しそうだと言われるのも気持ちとしては真逆の印象。

たしかにいろんなところに飛び回ってはいるけれど、移動中って特に体力を使うようなこともなし、集中して本が読めるようなかんじでもないので虚無の気持ちでスマホをスクロール、あるいはうとうと、そしたら仕事場についてお店を作り上げてあとは勝手に部屋の掃除がなされる夢のような部屋のベッドに潜り込むのだ。

起きたら売り場に行って、開店から閉店まで一日中いるのやからここでもバタバタするようなことは特に起こらない。

立ち仕事というのは確かに辛いものだけれど、私の場合店番中にも製本作業をするために作業机をもらうので暇なときは座っている。


ここまで書いて勘違いに気づいた。

わたしは忙しいということについて、体力を消耗する運動の連続のようなことをイメージしているのだ。

だからべつに忙しくないけど、と思うのだ。

たった15分の休み時間にドッヂボールをしに運動場に駆け出す男子小学生みたいなやり方のことを"忙しい"だと思い込んでいる。

社会はもっと成熟したシステムで動いており、それに照らし合わせるとわたしのやり方は"忙しい"になるのだ。エウレーカ。


とそれを自覚したところで生活は続く。

頑張って働いて糧を得なければならぬ。

岩手に帰ればあのうちは、都会の3日ぶんが1日ぶんというくらいに時間の経つのが遅いのだから、人の3倍働けるという寸法だな。

しかも家族もそこにいる。

彼らの生活に不安の影の落ちぬように。

まあでも願わくば宝くじが当たりますように。


ree

 
 
 

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