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ところかわって、ここは。

  • 執筆者の写真: すずめや
    すずめや
  • 2019年8月14日
  • 読了時間: 2分

居場所のことばかり考えています。


同じ街を、きのうは苦しい思いで歩いた

きょうはあの子と一緒に楽しく歩いた

おうちで行ったことのない国のうたを聴く

うたうたいは画面のむこうにいる

いまではないときに撮られたおとで、映像になって、いまわたしがみたりきいたりしている

生まれたときのことを覚えてないのにずっと生きている

やめちゃえのときも結局やめなかったものもあるし

やめたままやめたものもある


何かを知れば知るほど世界は広い

どこにいても一緒だなとも思うし

ここはやだなとも思う

あのひとの隣ならいいなというひとたちには出会えている

どう回るかしら


変わらないものはない

ノスタルジアには捕まらない

ただむかしがあったことは、たいせつなこと。

それは、いま、たぶんちゃんと向き合わなくちゃいけない。


きょうはたまをずっと聴いています。

彼らはある一定の生きづらさや弱さや寂しさをかかえているタイプの人間のためにうたってくれているひとたちだと思っていて、誰にでも刺さるものではないかもしれないが彼らが表現者として出てきてくれたことでほんとうに深淵から救われたたましいをもっているひとたちがいる。

誰にでも刺さるようにうたうことが、たまのドラマーさんの言葉を借りれば"メジャーを引き受ける"ってことで、たまはメジャーを引き受けなかった。

どちらがどうというんじゃなくって、両方とももちろんいいんだ。

ただそこに、そこにも、ああわたしは共鳴しているのだな、という自覚にはなりました。


はあわけわかんないなこれ。


 
 
 

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日記

オレンジ色のきいちごが実り、くわの実はまだもうすこし。 犬を連れ歩く合間にむしりとって食べる。甘いのとすっぱいの、食べてみるまでわからない。小さいころ通学路に鈴なりになっていたきいちごを執拗に食っていたことを思い出す。大人になってもやることがかわらない。 薪屋のまきじいがお家の解体で出た柱やなんかをでかいトラックにのせて譲ってくれた。丸鋸で切り刻んで薪にしているのをみて電気チェンソーを貸してくれた

 
 
 

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