去り行く太陽
- すずめや

- 10 分前
- 読了時間: 4分
日本橋丸善の一週間が終わった。
なんども来ている場所だけれど今回は違った。
以前もブログで触れた、日本橋丸善一階の太陽たちが所属する会社のお仕舞いとともにもう丸善からいなくなるという。これは本当に大変なこと。
ふたりの太陽たち、ひとりはオレンジ色の太陽で、ミュージカルの大御所、クリスティンチェノウェスにそっくりな太陽、じゅんこ。もうひとりは夏の白浜のてっぺんで爽やかに笑う白い太陽そのもののような、じゅんこ。太陽たちは名前が同じなのである。
丸善一階の皮小物やバッグ、ネクタイや傘を取り扱うスペースの一部が我々行商作家のイベントスペースである。そしてそこには太陽たちの働く会社の商品をならべた常設のブースがあり、太陽たちはそこで販売の仕事をしている。
はじめて日本橋丸善に仕事に来たときはそのまぶしさに大層驚き、そして夢中になった。
そも、丸善と聞いたときに想像する社風、例えば折り目正しい態度の書店員、満遍なく偏りなく、しかし豊富に揃えられた書棚、"きちんとした本屋"、それが大多数のみなさんの印象であろうと思うし、実際内部に侵入して商売をさせていただいてもそのイメージに特に乖離はない。
だが太陽たちは違う。
弾けるように笑い、スポーティなスニーカーで出勤し、まつげはビャンビャンに上を向き、美しく染色した髪を靡かせ、丸善に通う紳士の肩を叩いてまた笑っている。語弊を恐れずに言えば太陽たちはギャルなのだ。格式高い書店に燦然と輝く、ギャル。
彼女らに会いに毎日通う紳士が少なくない。少なくないってすごくないか。いくら人口の多い東京とはいえ、ここはハイソな日本橋。このあたりをふらふら散歩できるような人は京都でいうところの洛中に住んでいる人間に違いないのだ。紳士たちは吸い寄せられるように日々の散歩コースに丸善を組み込んでいる。それは太陽たちがそこで笑って待っているからなのである。
太陽たちはとてもこまめにお客さんの動向に気づいて声をかけ、たとえ声をかけたのがわたしのような根暗で、"アッ…見てただけです…ドウモ…"のような反応が返ってきても、ほんとうに、心の底からの明るい、ステキに朗らかな笑顔で、"ごゆっくりご覧になってください!"と言う。こういうときに、声をかけられたことで卑屈になっているこちらが、より恐縮してしまうような笑顔じゃないのだ。あんなふうに笑われたら、では、ゆっくり見させていただきます、とどんな捻くれ者でも素直になることだろう。彼女らの販売態度は卑屈を洗い流すシャワー、太陽の光線、そのひかりの下ではみんながまっすぐひかりをうけて、ひかりにむいて。
しばらく夢見心地のたまらない気分にさせるのだ。
作家仲間と違う場所で会っても、太陽たちの話をすることがある。
こんなことがあってあんなことがあって、とそれぞれがそれぞれの太陽たちのエピソードを、太陽たちがこちらを向いて微笑んでくれたときの話を宝もののように披露しあって、そして、甘くため息をついて太陽たちの健康と再会を願う。
そんな太陽たちがいなくなるんだという。
太陽たちの会社の社長は寡黙なタイプの江戸前の男前で、太陽たちは彼のことが大好きなようだった。
もう数えるほどになった日本橋丸善での営業だからだろうか、社長は朝から晩までずっと、自社のブースで販売をしていた。以前は来られる日と時間はおそらく決まっていて、たまに来る日がかぶるとお互いブースを離れておしゃべりをしたり、おすすめのお得なランチを教えてもらったりしていた。だけど会社がお仕舞いになる。社長はずっと、自社のブースのあたりにいた。
自営業者のはしくれだからこそ、お仕舞いを目の前にした方だというフィルターが強くかかってしまう。うっかりそういう言葉が口を吐かないとは思えず、そしてそうやって出てきた言葉は社長にはきっと若鶏の煩わしい囀りに聞こえるのかもしれず、いつもみたいに気軽に声をかけることができなかった。
日替わりで、太陽たちは去っていった。
笑って大仰に手を振って、去っていった。
次に日本橋にやってくるときにはもう会えない。
太陽の去った書店。
書店には、そもそも太陽はないのだけれど、確かにそうなんだけれど、でも日本橋丸善は日本で一箇所だけの、太陽のある書店だったのだった。


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