いのことうりり
- すずめや

- 14 分前
- 読了時間: 6分
ここで呼称する彼らについて、もちろん同一個体であるという確証は全くない。希望的観測に基づき固定する呼称であることをご理解いただきこの能天気をご勘弁願いたい。
話は去年の冬まで遡る。
ある日ぬげたの散歩から帰ってきた夫が近くの杉林でイノシシを見たと、見たというにはずいぶん近寄って撮った動画を見せてくれた。そのときギャグマンガ日和のアニメを観ていて、小野妹子が頻繁に登場していたのでそのイノシシのことは猪子(いのこ)と呼ぶことにした。
猪子は杉林の入り口のあたりで自分で穴を掘って小枝なんかを集めて自分の寝床を作っていて、道からも丸見えの場所にいた。だがイノシシの深い茶色の毛皮はいると知らなければそのまま土や小枝の色に溶けてしまうので猪子としては丸見えのことはあんまり気にしてなかったのかもしれない。
会ったばかりのころはなんだか妙にぶるぶる震えていて寒そうにしていた。ぬげたは猪子に近寄っていった。突進の構えをして二、三歩動いてみるものの、しかし猪子はその軽い威嚇だけでぬげた及び我々が近づいてもあまり気にせずそのへんの土を鼻先でほじくり返していた。
もちろん触れるほど近くには行かなかったが、猪子は次の日もまた次の日も同じ場所にいた。ぬげたが嫌ならばどこにでも行けるはずだ、あのくらいの距離なら近づいてもかまわないのでないかと合点した我々は散歩のたびに猪子、猪子、と呼びかけては近寄っていた。わたしはこんどうちの方に遊びにおいでよとしつこく声をかけていた。
イノシシというのはある期間を置いて寝床を移動する習性があるそうで、しばらくすると猪子はいなくなってしまった。それでもあの杉林の前を通るときは、猪子があそこに戻らないかと目をやるのが癖になってしまった。
そして雪が溶けて春、今年の春。
猪子はほんとうにうちの近くにやってきた。
アトリエの、机に向かうと大きな窓があって、その窓のむこう。空いた畑が野原のように広がり、右手には山、左手には道、の右手の山のあたりから猪子がのしのしやってくるのが見えた。ここでそのイノシシを猪子と断定したのは大きさがおんなじだったから。猪子はふつうのイノシシよりも小さかった。25キロのぬげたよりひとまわり大きいくらいでちょっと特徴的な大きさだった。
わたしは作業をとりおいて猪子の歩く空いた畑のほうに、猪子を驚かさないようにしずかに駆けていった。そして、猪子、猪子とできるだけ優しげに声をかけて猪子に近寄っていった。するとそこでちょうど散歩から帰ってきたぬげたと夫が登場し、夫はイノシシをみてぬげたの縄を手放した。
ぬげたは大喜びで猪子を追いかけてゆき、びびった猪子は山の方へ一目散に行ってしまった。せっかく猪子が言うことを覚えていてうちの方へ来てくれたのに!とぬげたと夫には理不尽にぶりぶり怒った。
そして今年の夏、アトリエの窓の向こうの畑を小さなイノシシが、二匹のうりぼうを連れて横切った。猪子がこどもを連れてきたのだ。小野妹子からの猪子だったけれど猪子は女の子だったのだ。まあ字面は合ってるんだけど。ここでの顛末は夏にブログに書いた。ざっくりと説明すると我々のせいで猪子のこどものうちひとりを離れ離れにしてしまったのだ。
その子どもはうりぼうだったのでうりりと呼んだ。しばらくうちのまわりをほじくり返して食事をしていたが、あるとき猪子のいた杉林のほうに駆けていったという目撃証言を最後にふっつりと姿が見えなくなった。うりりはアトリエのまわりもほじくりかえしていて、窓ガラスごしにほんとうに近くにいた。これは子どもならではの油断だろう。うりりはひっくり返るほど可愛くて、こんなに可愛い子どもを猪子から引き離してしまったという自責はずうっと波のように心のなかをさざめかせていた。
そしておととい。
なんとなく昼下がりにぬげたと近くをぶらつこうかと外へ出てみると、猪子の杉林の手前の田んぼにちいさなイノシシがひとりでいた。ぬげたよりひとまわり小さくて、遠目からみるとたぬきみたいだった。だいたいうちのまわりのイノシシというのは、窓ガラス越しにわたしが見かけたイノシシに向かって室内で、うわー!イノシシ!なんて声をあげただけで突進して逃げてゆくくらい警戒心が強くて繊細なので、猪子もうりりもその点においてはかなりイレギュラーなのだ。
無遠慮に距離を縮めていっても田んぼに鼻を突っ込んでなにかもぐもぐしているばかりでこちらに気づく気配もない。大きさといいこのおおらかさといい、これはうりりだ。猪子のひとりぼっちになった子ども、うりりだ。
5メートルくらいだろうか。うりりはぱっとこちらに気づいて顔を上げると、ちょっとだけなにか考えるようにうろうろして走っていった。2、3メートル走って逃げて、道の真ん中でこちらを振り向いた。わたしはうりり、となんどか声をかけてみた。そうするとうりりはこちらをじっと見て、また後ろを向いて、こんどこそどこかに走って行ってしまった。
うりりはもううりぼうではなくなっていた。イノシシの深い茶色の毛皮に生え変わって、すこし大きくなっていた。うりりはひとりになっても生き延びていた!
次の日、同じくらいの時間帯に同じ田んぼに向かってみると、うりりは今度は道を挟んだ向かいの田んぼでまた同じように鼻を雪につっこんでなにかをもぐもぐしていた。うりりはうりぼうのときからずっとずっとひとりでもぐもぐしながら、それでもこのあたりで生き延びたのだ。うりりは猪子に会っただろうか。うりりのいまほじくり返している田んぼのそばに、猪子は寝床を作っていたのだけど。
はあうりりが生きていてよかった、とそのあたたかな嬉しさを抱いているちかごろ、そしてきょう、陽が落ちてからのぬげたの用足しの散歩に夫が出てゆくとぬげたの様子が興奮しておかしい、外にけものがいるみたいだと言う。ヘッドライトを装着してぬげたと共に3人で外へ出ると、あたりは真っ暗で霧までかかっていて、ヘッドライトでもうまく見えないくらいだった。がしかし、やはりけものはいた。一瞬でわたしはよく見えなかったが、夫が言うにはイノシシだったという。うりりより大きなイノシシだという。そこはアトリエの窓の前に広がる空き畑。猪子が春、やってきたあの畑なのである。
わたしは今日いたイノシシは猪子でないかと思う。そうであってくれと思う。猪子がうりりと、どうか出会っていてほしいからだ。







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