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  • 執筆者の写真すずめや

新年のこと

背中いてえ〜っつってゴロンしたらお腹にねこがのりましたので、ちょっと久しぶりになっちゃったぶろぐを。


いや間に合わねえかもしれんのですけど。

1/2から三日間、名古屋のラシックで行われますNew year NEW creatores Marketで、展示台を販売台と別に一台もらってちいちゃなインスタレーションをさしてもらえるのです。

きっかけは、ボスに卒業制作の写真をみせたこと。


当時は、文学少女の成れの果てだ、って批評をされて(もちろんたくさんの意見の中の一つです)と言われて、そうだよ。と思っていました。

大人になったら、商いや暮らしを差し置いて、こんなふうに表現だけなんてできないんでしょ、だから最後にやってやるよ、これをやりきれなきゃ後悔しかないもの。って青い春ですね。

よくやったと思いますよ。

ほんとに思いつめてた。


ちゃんと、そりゃあ後悔とかも残りますけど、当時の力を出し切ってできたから、忘れていた。

というかあそこにおいてきてたのかもしれないです。

中学生のころから、田舎の狭さに、いまのまわりの世界観の狭さに絶望して泣いていたような子どもでしたから、思う存分世界を作れて満足したんだ、あのころ。


もう、二度と表現や芸術は、自分ではできないって思い込んでいました。

絵描きじゃないから、職人肌だから、余裕もないから、わたしなんて人を救うような人になれないから、なんて、なにを思ってたんだろ。言っていたんだろう。

クリエーターと呼ばれることや、つくるものを作品と呼ばれることに、なんとなくの抵抗を感じていたのは、そうやって作っていなかったからだ。

できるのに、そのほうが伝えられるのに、言葉にしたり説明したり、それ以外でたとえばひとめでひとみを惹いて、それからってやり方を、できないと思い込んでいました。

作業や技術やクオリティは、表現のためのツールでしか、わたしにとっては、ツールでしかないにきまってるのに。


あのときに、もう社会にでたらそんなことできないんだからって、わたしがわたしに呪いをかけたのでした。


解いてくれてありがとう、この場をいただけたのは、ほんとにほんとにたくさんの偶然や出会いの連なりでしたから、ありがとう、みなさま、救われました。


不思議なのは愛知県。

京都に出てきて12年、まるっと見向きもしなかったに近いのに、だから叱られたってしょうがないし、愛知に見捨てられてもしょうがないのに、今回書いている救いの大きな部分を担う方々は、なんだかだいたい、愛知県かまた愛知に深い縁のある方々です。

(紳士さま、ラブレターありがとう)

さすが愛を知るというだけあるな。

こういう縁もあるんだな。これからどう転がっていくんだろう。

世界は不思議がいっぱいだな。







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