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ポケモンセンターすごいなあ

  • 執筆者の写真: すずめや
    すずめや
  • 6月24日
  • 読了時間: 5分

東京に仕事に来た。

東京には姪っ子がいる。

姪っ子に大好きと言ってもらうためにポケモンのバスボールを買うのだ。


ということで仕事終わりにポケモンセンターに行った。

前回東京に来たときは東京駅のポケモンセンターに行って、でかいカビゴンのぬいぐるみを姪っ子に買った。

そのときはじめてポケモンセンターに行って、なんかすごい場所だな、と思ったんだけど、今回行ったポケモンセンターはまた一段と世界の深いポケモンセンターだった。


まずデパートの裏手の四角いビルの五階にある。

一階入ってすぐに照明に照らされたエレベーターがあって、そこからしゅっとのぼるのだ。

扉が開くと四角い無機質な廊下、と思いきや曲がればすぐに白い曲線でできた壁のフロアにでかでかとカビゴンが鎮座していた。

軽トラの顔くらいの大きさのでかでかのてかてかのカビゴンであった。

センター内はまっしろ。

キューブリック映画か、SFに出てくる近未来の病院か、はたまた宇宙船のなかか、というような白さと曲線とでできており、ぬいぐるみなんて全種類、棚からはみだしていた。

同じデザインのポケモンでも、はみだすほどたくさんの個体を揃えている。

それはキーホルダーでも、ステッカーでも、プリントマグでもおなじだった。


小学生のころにポケモンの赤緑が出て寝食忘れるほど夢中になった世代なのだけど、中学に上がる頃か、忘れちゃったけどまあ適齢期に自然と卒業して、いまのポケモンのことは全くわからない。

このポケモンセンターの尋常ではない世界観の作り込みと在庫量に圧倒され、餅は餅屋だとセンターのお姉さんにバスボールについて尋ね教えてもらった。

それがまあ、お姉さんはまあ、心の底からポケモンが好きで、わたしのむこうにいるポケモン好きの姪っ子のことをすぐさま了解して、なんも言ってないのにここにあるのは新商品でメガシンカというのはざっくりこういうことであちらの棚にも従来品のバスボールがあってこうこうこうで。

流れるように詳しく説明するのに、押し付けがましいところも、売ろう!というのも全くなくって、しんからの笑顔で、もうこちらはかしこまってお姉さんのポケモンに対する愛のひかりに照らされてただ頷くことしかできなかった。


仕事でガチンコの百貨店にも行ってた時期があって、プロの販売員さんの仕事はけっこう見てきたと思う。

作家仲間の売り方や接客の仕方だって、近くで見てる。

だけどこんな愛だけで語るなんてことが売り場で起こるなんて信じられず、その澄んだ感情にしんそこ驚いた。


販売員さんは売るのが仕事だし、あまり売るのが上手じゃない作家でも、これが新作で、これがんばって、とかこれいいですよね、とかある。

ごはんやさんだって名物メニューを推すし、小説家でも本の宣伝をする。

でもポケモンセンターのひとたちは売っている品物そのものというよりポケモンの世界が大好きで、その世界をお裾分けしよう、とか一緒に楽しもう、とかそういう方向に全振りしているみたいだった。

そう、モノを売ってない。

世界を一緒に盛り上げて楽しもうとしている。

そんな仕事があるのかこの世には!

しかもこんなに身近に!


テーマパークや観劇の世界にはそういうところがあるだろう。

でもポケモンセンターはそこらじゅうにあっていつでも入れる。

いや岩手にはないだろうけど、知らないけど、でも人口がすんごく多くてイコール子供の数もたくさんの東京にはたくさんある。

というか人口の多いところにはある。

最寄りの駅からいくつか電車の駅を過ぎたらポケモンセンターがある。

何ヶ月前のチケットをとらなくても、一日中遊ぶために予定をあけなくても、ポケモンセンターには仕事帰りにちょろっと寄って世界を愛している人の仕事に触れることができる。


これってかなりすごい文化なんじゃないのか。


無事に手にしたバスボールをレジに持ってゆくと、青白い肌のお兄さんが新商品のバスボールですね、と声をかけてくださり、おどおどと姪っ子のために来まして、と返すと10倍くらいの勢いでわたしが知らなくて姪っ子が知ってそうなこと、話すと気に入りそうなことを教えてくれた。

おまけにピカチュウのシールまでくれた。

ポケモンが大好きでこの仕事してるんです、というようなことも去り際にほんとうの笑顔で話してくれた。

なんだかこちらは泣きそうになった。


こんな仕事を生業にしているから、好きなことを仕事にするってことは、毎日毎日ものすごく頑張り続けなきゃならないってことで、心身を削ることで、言葉の印象とちがう、そういうふわっとした現実じゃないことを悲しいほど知っている。

仕事の楽しさももちろん同じくらい知っているわけだけれど。


でも、なんだろ、あるとき誰かが産んで、それから一緒にずっと成長してきたヴァーチャルの世界のなかで、実際に働きそのお金でごはんを食べて家に住み笑って過ごすっていうのは、なんかものすごい、ものすごい、ものすごい幸運、または達成、その達成はポケモンというコンテンツ自体の達成でもあって、働いていた店員さんみんなの達成でもあって、えっそれってちょっと映画でもなかなか見かけないような、隙のないハッピーなハッピーエンドなんじゃないの、幸せに暮らしましたとさ、が、幸せに暮らしていますとさ、ってことになったってことなんじゃないの。

わたしはハッピーエンドの渦中にいる人たちのお店で愛する姪っ子のためにお買い物をしたのだ!


おそらくハッピーエンドではない、エンドではおそらくなくて、鼻水たらした小学生だったわたしが姪っ子をもち、自分のお金でポケモンセンターでお買い物をするくらいに成長したその間もポケモンはずっとポケモンでそっちはそっちで成長してきたのだから、エンドではなくてハッピーがずっと続くように成長をしていくのだろう。

わたしが50歳になったり60歳になったりするのと同じに。

ポケモンって、すごいなあ、ほんとに。

 
 
 

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