仙台の街
- すずめや

- 1 日前
- 読了時間: 6分
初めての仙台一週間を終えてなんと今年はこれで出張が終いである。
だいたいこのあといつも愛するクリフェス主宰の大阪うめはんがあって年末を終え、年始は元旦からクリフェス名古屋というそれはそれで幸せな終いと始まりなのだけれど今年は大人の事情で終いのうめはんがなくなったのだ。
岩手でまともにクリスマスをむかえるのは初めてだと思う。それはそれこれはこれとして素敵なことだ。
さて仙台出張のあいだやたらと掌編を書いては壁打ちに投げ続けていて仙台について書いてなかった。
仙台の街はとてもよかった。
とにかくちっちゃな個人店がみんないきいきと個性的でたくさんあった。ジャズバーにライヴレストラン、ロックカフェなんてのも散見されたし、地元の本屋さんが元気に営業していた。
呑み屋も小さくて味なお店がたくさんあった。
くたびれた提灯に古びた壁、引き戸で店内が一切見えない焼き鳥屋さんが歓楽街の真ん中にあって、ラミネートされているのになぜかメニューの字が滲んでいるのを階段先にぶらさげている怪しげなネオンの2階にある焼肉屋さんがあって、漁船の投げる浮きにマジックで店名がシンプルに書かれている呑み屋さんがあって、蔦に埋もれたワインバーのようなものもあった。
それから中華屋さんの多いこと。
仙台に来るまでは知らなかったのだけど、仙台名物のひとつには麻婆焼きそばなるものがあった。
焼いた中華麺に麻婆豆腐がかかっているものだが、麻婆豆腐然としたものもあれば、豆腐少なめでキクラゲが参加しているものもあり、もうちょっと掘り進めるとかなり楽しい多様性がありそうに思う。中華屋さんは本場の方々がやっているのが多いみたいで、いわゆる町中華とは一線を画した、だがお手ごろで気安い雰囲気のお店屋さんが多いようだ。
それから大好きな牡蠣の店も目立ったし、地元チェーンの回転寿司に、東北の地酒をずらりと並べた棚のある店、そしてせり鍋始まりましたの揚々としたのぼり。
けれどそんなさまざまの店を、わたしは思う存分堪能することができなかった。
それはほそやのハンバーガーのためである。
日本最古のハンバーガーショップ、ほそやのサンド。
仙台に来て知ったお店で、もうそりゃとりあえずそれを食べるしかないと仙台藤崎閉店後に向かうのだが、ほそやは売り切れ御免でなくなれば営業時間もなんのそのと店仕舞いをしてしまうらしい。きっとそういう無理のないスタイルも長く続けてゆく秘訣のひとつなのだろうけれども三日連続で振られてしまってからはもうムキになってヤケになってせっかく仙台にいるのにほそやのハンバーガーに振られた腹いせに牛丼屋に赴いて牛丼にとろろをぶっかけて食べるなどというもったいないことをしてしまった。
ちなみにこれは仙台の牛タン屋さんの定食の麦飯にはとろろがデフォルトでないことを知ってからのとろろ欲の爆発でもあった。わたしにとっては牛タン定食の麦飯にとろろがついていないということは鳥南蛮にタルタルソースがかかっていないということであり、牛タン定食に別料金でとろろを足すのはなにかとても口惜しい気がしたのだ。今となっては、仙台で牛タン屋さんに行かないなんて、ほそやのハンバーガーが食べられないことがよっぽど悔しくて少々頭がいかれていたのだなと俯瞰できる。
結局通って通って五日めの、仙台最後の夜にかくしてほそやは店を開けていた。
どうせ今日もだめだろうよとあの角を曲がった瞬間の店の輝き。にっこりと店先で笑う謎の人形。ゴシック体で踊る古びたメニューの看板。年季の入った扉を押し開けると、恰幅の良い冗談みたいな笑顔の眼鏡のおにいさんが漫画みたいなシェフの格好をして、気持ちよくいらっしゃいませと声をかけてくれ、いまテイクアウトしかできないけれど大丈夫かと気にかけてくれた。この瞬間にいつまでも開いていないほそやを恨みがましく思い始めていたわたしのなかの悪魔は昇天した。
もちろん大丈夫です!と声高く答え、明日の朝に食べてもかまわないのか尋ねると、ええこの時間ですと朝ごはんにと買っていかれる方も多いですよと恵比寿顔のシェフが言う。
ということでハンバーガーをふたつ買い、にやにやと足早に帰路に着く。宿の目の前の通りでは、何メートルもあるでっかいケヤキ並木のてっぺんまでがきらきらの電飾で飾られていてまるでキャンプファイアの火柱のように輝いていた。改造バイクに乗って吹かしている爆走サンタの群れも混じって、ひかるケヤキ並木を見にたくさんの人が詰めかけていた。夢のような輝く道に背を向けて、わたしはいそいそと部屋へ戻る。
書き忘れていたが今回とった宿にはなぜか読み放題の漫画コーナーがあって、うしおととらとからくりサーカスが全巻置かれていた。思えば仙台の街をふらつかなかったのはそもそもこれが最大の要因であった。早く宿に帰って漫画を読まなければならなかったのだ。ちなみにうしおととらは全巻読破できたもののからくりサーカスは10巻までという悔しい結果となった。
からくりサーカスを片手にビールを開け、念願のハンバーガーを頂く夜。それが仙台最後の夜であり至福の夜であった。
仙台の街をもっとうろつきたいという気持ちも強いのだけれどこんどもしまた仕事がもらえたらあの宿をまたとってからくりサーカスの続きを読まなければならない。記憶を失った成美はまだしろがねに会えていないのだから。いやあしかし久しぶりにうしおととらを読み返しましたがやはり熱い。そして初めの数巻はなんと初版で揃えてあったので当時の紙質に触れているうちになんだか空気まで連載当時にもっていかれてしまうようで大変よい読書経験であった。わたしはやはりとらと真由子が好きだ。なんと藤田先生はうしおととらが初連載だったそうで、うしおととら読破後の間を置かないからくりサーカス読書開始は先生の連載作家としての技巧の上達が肉薄して感ぜられ、えもいわれぬ妙味があった。いわゆるサンデー作家では藤田先生と西森博之先生が特に好きだ。
まあそれはそれでこれはこれで結局オールオッケーなのであった。でも仙台にはまた行きたい。できれば仙台藤崎にまた行きたい。藤崎では従業員どうしが気安く声をかけ合う雰囲気があり、それは他に行ったことのある様々な百貨店のなかでもいちばん暖かいものだった。見ず知らずのわたしのような侵入者にもすれ違いざま笑って会釈をしてくれる。お客さまが藤崎は地元の人に愛されてるから、と力説しておられた根幹の理由のひとつはこういうところにあるのじゃないかと思う。それに社員食堂の雰囲気が明るかった。だいたいどこの百貨店でも、社員食堂では疲れ果てて屍のようになったみなさんがすぐ起きられるような無理な姿勢で寝ていたり、難しい顔をして苦虫を噛み潰すように昼食を咀嚼をしていたりしてどことなく殺伐としたものがあるものだが、殺伐の気配がほとんどなかった。これは県民性とか土地柄とかの問題なのだろうか。東北の百貨店はみなそんなかんじなのだろうか。疲れた顔を、身内ばかりの休憩所でも出さないように努めておられるのだろうか。
謎は深まり好奇心は絶えぬ。
また行きたいな、仙台。







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