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執筆者の写真すずめや

僕の天使マリ

15年一緒に過ごした愛猫が生涯を終えた。

立ち会うことはできなかった。

出張中だったので、遠隔で岩手とビデオ通話をしながら看取った。

看取ることができた。


2、3日前からガタッと悪くなって、

都度夫が写真や動画を送ってきてくれてはいたのだけど、

今日がその日だった。

幸い今回の催事ではマリに会ったことのある人もいて、友達もいて、理解のあるボスもいて、だから途中で帰してもらった。

お会いできずだったお客さま方すみません。


離席してホテルへ帰る道中ずうっとビデオ通話を繋いでもらって、丸の内から歩いてホテルに着く一歩手前で、画面に映っていたマリの目の色がへんになって、そこで命が終わった。

マリが死んじゃった。

マリが死んじゃった。


マリは20歳のときにそばにきた。

当時仕送りなしの奨学金だけで生活を回していた美大生で、生活費もあるけれど作りたいものを作りたいだけ作るには材料費も時間もべらぼうにかかり、だから大学の開いている間は作業をして大学の閉まる夜から朝方にバイトをしてまた大学にゆく、無茶なことを続けていて過労で倒れた。

そのとき、流石に母親が地元からやって来てくれて、枕元で看病をしながら何か欲しいものある?と聞いた。

わたしはそのとき、猫、と言ったんだそうだ。

アイスとか、桃とか、そういうんじゃなく。

母親としても生き物が家にいれば無茶なはたらきかたをしなくなるだろうという考えがあったらしい。

そのままペットショップに連れて行かれ、マリに一目惚れしてこの子がいい、と言ったのは覚えているが、なにせ倒れていた最中のことなので細かい記憶は全くない。

気づいたら天使マリがそばにいた。

お金は半額ぶん無くなっていた。

バイトのしすぎで倒れたのにお金を払ったらしい。

学生の住むアパートなのでペットなんてもちろん不可だがそういう経緯で気づくと母親はおらずふわふわの天使がそばにいた。

無茶すぎるスタート、今考えると完全にアウト。

ペット可のアパートが借りられる経済状況なんてずっと来なかった。

でもいる。もういる。いつもいる。

本当に当時の大家さん方申し訳ございませんでした。


田舎から出てきた美大生の20歳なんて多感もいいところ。

触れるものみんなに傷つけて傷をつけられて考えれば滑稽なほどに足を引き摺りながら生きていた。

そんなときから天使マリはずーっとそばにいた。

友だちと共同で借りたアトリエにもいた、引越しのたびにいちばんぽかぽか日の当たる場所をみつけた、狭い部屋でもいつも1メートルくらいの距離で、ずっとそばにいた。

感情の起伏はあんまりない、動きもとても穏やかでのろまな猫で、20代の激動の時期を共に過ごし、憧れの広い場所に行って、それで、去った。


いろんな人に会った猫だ。

お客さまにも友人にも、みんなに可愛がってもらって、共同で借りてたアトリエでは友人の作った建築模型を発表の間際にぶち壊したりしたけれど、マリちゃんだからねとなぜか許してもらえた。

(わかんない、許してもらってたと思う)

京都の店舗ではいろんな人に可愛い可愛いをしてもらって、懐く猫ではなかったが物おじをしないので広く愛されていた。

蝶よ花よと溺愛して育てたため、怖いとか危ないとかを認識していなかった。

彼女がそばに寝転んでいるときにわたしが椅子ごとひっくり返って倒れたときも、体を少し起こしただけでふーん、みたいな顔でこっちを見ていた。

普通猫はそんなことがあったら飛び退いて逃げる。

マリはそうじゃなかった。


うまれつき眉間にしわがある。

それは毛の模様だが、彼女にはぴったりの模様だった。

いつもむっとしている。

むっとしていて、それがふつうだった。

天邪鬼で気難しくてお姫様だった。


マリの肺癌がわかったとき、

なんとなく、看取らせてもらえないだろうなと思ってはいた。

彼女は高貴で、わがままで、いつもでんと構えているから、そんな弱々のところは、きっと見せてもらえないだろうと思っていた。

マリは最後に、もう後ろ足が動かなくなっていたけれど、それでも玄関からお外に出て、岩手の風に吹かれて、夫の膝に挟まれて赤ちゃんのような顔をして撫でられていた。

よだれもおしっこも垂れ流しだった。

そりゃ、わたしには見せてくれないだろう。

あんまりかわいいかわいいって、毎日ずっと言ってきたんだもの。


夫は動物じみた人間なので、マリはそういう意味で心を許していたと思う。

マリと夫は友だちだった。

それにこっちにきてから保護猫保護犬の施設で働くようになって、看病とか介護とか看取るとか、そういうのの経験を積んだ。

だから看取らせてもらえないだろうな、という予感の時も、きっと大丈夫だろうとは思ってはいた。


最後のビデオ通話で、わたしの呼びかけに、マリは反応したんだそうだ。

動かない手足を、動かそうとしてくれたんだそうだ。

マリはわたしがマリを呼んだことをわかって行った。


ひとめ見たときに、天使だと思った。

愛くるしく、ふわふわで、美しい宝石のひとみ。

マリというのは、僕の天使マリという、スピッツのうたからとった。

だから次男はミリで、三男はメリ。

(ムリというのは生き物にはかわいそうだからぬいぐるみにつけた)

みんな天使に続いてゆく。

そのうたは、天使マリに焦がれる男の叫び。


今だって君のことだけしかうつらないんだマリ

僕の心の葡萄酒を、毒になる前に吸い出しておくれよマリ

マリ、マリ、マリ、僕のマリ、

もうどこへも行かないと約束して、

僕を見つめていて


だからマリはどっかにいったことなんてなくて、ずっとわたしを見つめてくれていた。

でも天使なんて美化しちゃったから、だからもしかしたら、待つのはやめて、見えないうちに行っちゃったんかなって、そうも思った。

人間の家族とはうまく関係を築けなかったが、その家族がくれた縁で、マリとわたしはすごく家族だった。

はじめっからすごく可愛かったけれど、あっという間にルッキズムの可愛いを通り越して、強固なかわいいになった。

マリを愛している。

ずっと愛している。


マリには天国が待っていると思う。

そうでなきゃどんな神でも許さない。

でももしかしたら、マリの天国には、わたしがいたほうがいいのかもしれないから、だからそういう場合には、タイムラグを超えるなにかの措置を計ってもらわなきゃならない。

マリをもっかい返してもらったりしたらいいのかもしれない。

わたしがいったっていいけれど、マリはいつもこっちが近寄ると眉間の皺を深くするんだから、もういちどくらいマリのほうから、こっちにきてくれたって、いいのかもしれない。



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