日本橋丸善に出張に来ています。
まあ出張、といえばいまのわたしは一週間の外泊。
ほんとーにお金のなかったころ(けっこう長かった)交通費もクレジットカードで支払いを遠くにまわし、宿代も出せずにゲストハウスに泊まっていたりして。
コロナの初期段階でめちゃくちゃびびって精神すり減らしたという原因もあるとはいえビジネスホテルに宿をとっているというのは昔の自分を思えば贅沢なことです。
ゲストハウスってのはとってもお安く泊まれるけれど、だいたい二段ベットのドミトリーで、お風呂もトイレも共用で、それは感染対策の観点からすると弱点であったのです。
一人暮らしも長かったし、どっかでも言った気がするけどビジネスホテルは貴族の城。
自分用のお風呂もトイレも清潔なベッドも机もあって、仕事から帰ってそれらを使って散らかして、仕事に行って帰ってきたら部屋中ぴかぴかになっている。
過ぎた贅沢、というかんじがある。
部屋を掃除して整えるってのはくらしのなかの中枢の部分で数字にはけしてみえない大切な部分だ。
なのに部屋は見知らぬ誰かの手によって毎日整えられている。
誰かがいたのだ。
誰かが部屋をきれいにしてくれている。
だのにわたしはほとんどその誰かを知ることがない。
これはとっても不思議なことだ。
いるのに見えないだれか。
その人が岩手の山奥から出てきたわたしの生活の中枢を整えてくれているのだ。
だから真夏も真冬も、ビジネスホテルの窓を開けて眠る。
どんな街でもだいたい滞在は都心部で、窓を開けておくといろんな音や匂いがする。
名古屋の中心部では若い元気なひとたちが朝方まで大騒ぎだったし、広島もみな元気だった。
東京の定宿はすこしそういう場所から離れていて、でも夜中にふと目を覚ましたりすると車の走る音や工事の音が響いてきて、いつも誰かが起きていて動いているのだとわかる。
朝早くにスープの香りが漂ってきてめざめることもある。
岩手に引っ越して、まだ1年も経っていないのだけれど、聞こえる音は自然界の、いまなら雪の滑り落ちる音、しらないけものの足あととか、虫の声や鳥の鳴き声、そういうもので、なんでかわからないけどそれがほんとうに普通の音だってすんなり馴染んでしまって、ビジネスホテルの窓から聞こえる音は異世界の音になった。
こんなにずーっと、人は活動しているのやな。
人の活動ってとっても難しい。
原理がひとつじゃない。
わーと遊びたくて朝方まではしゃいでいたりするし、お仕事のため夜中まで働いていたりするし、みんな動いているのにこれが、という原因はひとつじゃない。
雫石には白鳥がもどってきたんだそうだ。
鳥はごはんをたべるのに、良い気候や土壌のある場所にゆく。
それがたとえば風物詩とか暦のなんかってことになって、そういうのが重なって季節ができる。
季節を自覚する。
ビジネスホテルの窓を開けておくと、
関係ないだれかの声や音がいつでも鳴っていて、ここはどこなんだろうなってわからなくなる。
でも虫の声があるからって、木々のざわめきざあるからって、だからってそこはどこなんだろう。
ここはどこだろうか、いつもわかっているのだろうか、きっとわかっていないだろうが、でもここはここで、在るのだろう。
遠くで誰かの乾杯の声が聞こえた。
窓を開けておけば、愛する居場所から離れても、なにかが続いているのだと安心できるのかもしれない。
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