隙間仕事

いままで一週間の催事出展中にはたんまり紙を持ち込んで手作業をしていた。開店から閉店までお客さんが途切れることのない、ことなどないからだ。思いのほか待ちの時間というのはあって、その隙に出先でもできる仕事を持ってきていた。
けど近ごろはその時間を文章書きに充てている。
先日買った公募ガイドから広がった夢はそのままゴム風船に詰められてわたしを地上からほんの数ミリ浮かせている。先日の大阪出展中には詩を三遍書き上げて詩の公募に提出した。今回は一本の小説と一本の児童文学を仕上げるのが目標。たぶん全部は書き切れないけれど締め切りは月末なのやしへーきへーき。それに机に向かってものを書いているというのはたとえそれが暇ゆえの作業だったとしてもすごくやってる感が出るしだいぶいい。まあ昨日は三月のライオンの無料大量公開を見つけてしまい永遠に漫画を読んでいたが。
しかしこういうしょうもない壁打ちブログと違ってしっかりと文章を書くってまた違う筋肉だ。ものを書くというのは日常的に続けてきたのでおそらくわたしはマッスルではあるがそのマッスルの使い方を知らない。剛力だからってホームランが打てるわけではないしお相撲さんだってランナーのようには走れない、鈴と小鳥と、それからわたし。って話。
知らないことは書けないって噂を聞いていたので知ってる話を書こうとするが面白いほどつまづくし詰まる。こんなふうに(このブログ文みたいに)べべべと出力できないんだ。けどいままでほとんどやってこなかった文章の推敲というのをやると、がらっといいものに変わる、ということも多くてその手応えはものづくりにおいてはこんな短期間でこんな少しの変化で味わえる恍惚ではない。ものづくりの改革はもっと時間も物量も必要で失敗作もできるけれど文章はいくらでもこのまま直せる。そして良くなる。これは垂涎ものの体感だ。
明日も書く、明後日も書く。
そして文学の賞をとってベストセラー作家となり映画化をもぎとり、その印税でわが町の街灯を全て瀟洒な灯りに取り替えて映画館と本屋とギャラリーと画材屋とアーティストインレジデンスとを建て小綺麗な賃貸物件をいくつか持ち鶯宿温泉街に給付金を出してすべてを復興させ愛する集落のじじばばたちの笑顔溢れる地域にするのだ。


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