top of page

粛々とモード

  • 執筆者の写真: すずめや
    すずめや
  • 2024年12月7日
  • 読了時間: 2分

やることがあまりにもあり、一瞬のイヤイヤ期を経て、粛々とこなすしかないのだモードを取り戻した。

全てはやることでしか終わらないのだ、そういうことだ。


仕事においてイヤイヤ期がくるのはとてもめずらしい。

が、当初の当て込みよりも冬休みがずいぶん先延ばしになってしまったことが今更じわじわと効いてきていたのだ。

冬に入った仕事はどれも楽しみな仕事であるにもかかわらずだ。


イヤイヤ期といえど大黒柱にしては頼りない稼ぎであるというのもあってすべてほうりだして何も気にせず眠るみたいなことはどうしてもできない。

普段なら息をするようにしている作業が、仕事なんだからやらなきゃという気持ちに追われるというかんじ。

生きなきゃいけないんだから息をしなきゃ、と考えたとたんに無意識にしていた呼吸がぐっと息苦しくなる。


しかし粛々モードに入った。

すべてのやらなければならないことを整理し段取りしていき、ちょこっとの面倒だって気持ちを無視して進む。

やりきっていかねばならない。

製本もメールの返事もSNSも画像の準備も送り込み日時と数量の確認も価格改定の準備もパネルも染めも掃除もぬげたの散歩も猫の餌やりも薪運びもする。

昭和あたりに想像されていたロボットのようなうごきである。


そしてわたしが粛々と動くモードになったというのに夫はのんべんだらりモードになったようだ。

こういうモードがふたりとも息が合えばいいのに、さっきも仕事の片付けに筆を洗いに台所入ったらほかほかのお風呂あがりでモコモコのパジャマを着てケータイゲームをしながらお酒を呑んでいた。

そのお酒のラベルにはシマウマがついているので、みんなのごはんもまだなのにゲームしてシマウマのお酒を呑むなんて!と糾弾したところシマウマのお酒なんてこの世にないおかしいことを言うそれにゲームもしてないとあからさまに嘘をついてにやにやしていた。

夫はわかりきった嘘をつくのが好きだ。

まあのんびりしたい気持ちなら好きなだけそうするといい。

そのかわりおいしいごはんと洗濯ものの片付けと台所のおそうじをしてくれたらいい。

聞いてるか、夫。


ree

 
 
 

最新記事

すべて表示
よもぎ饅頭の昼下がり 後編

よもぎ饅頭はコンクリートの道に出て、でんでこでんでこ転がっていった。からりと晴れはしたものの、道路にはまだ湿り気が残っていて、よもぎ饅頭の柔らかな体もうまく傷つかずに転がってゆけた。おなかのなかのつぶあんは初めてのお外への散歩にそりゃあもうわくわくして、 「ちょっとアンタ、よもぎの生えているところはないのかね。わたし、そこまで行ってお外のよもぎに会ってみたいよ。」 と言った。 「そりゃあいい。あっ

 
 
 
よもぎ饅頭の昼下がり 前編

つまんねえよなあ、とよもぎ饅頭は和菓子屋幸福堂の店頭で毒づいた。 もうずっとずっとつまんねえんだよなあ。 昔はちいちゃな子供が目を輝かせて饅頭を買いに来たってえのになあ。今じゃおいぼれのじじいかばばあか、しゃらくせえ気取った着物のやつがエラソーに買いにくるばかりだものなあ。 とはいえよもぎ饅頭は老人のお八つになることも、茶席の菓子となることも、べつに嫌だというわけではなかった。 顎の弱った老人が、

 
 
 

コメント


Copyright © 2018 suzumeya

bottom of page