月の夜の彷徨い
- すずめや

- 10月7日
- 読了時間: 2分
もうあと一日で博多のクリフェスもおしまいだ、
ということでみんなで打ち上げ的にもつ鍋屋さんに行ってきた。
阪急の社員さんにアテンドしていただいて、大人数で笑いながら鍋をつついて夜は更けて、ひとりだけ佐賀県に宿をとったわたしはふらふらと終電時間ならではのしんとした夜を歩いた。
人の活動がすっかり落ち着いたころ。
窓の明かりはほとんどなくて、頼りなく立つ街頭のひかりは朧げだ。
だけどお化けが出てくるのにはまだ早い夜。
ねいりばなの人々の気配がまだある時間。
こんな時間に外を歩くのも久しぶりで、知らない街の知らない駅に乗り継ぐなんていうのも久しぶりだった。
見上げると月が美しく、今宵は中秋の名月なのだった。
夜更かしの飲み助がスナックの扉の向こうで騒いでいるのが漏れ聞こえる。
少し離れたところに同じく終電を目指して歩いているらしい人がふたりほど。
うちひとりは固いヒールの靴を履いているみたいで、からっぽの道路にかつかつと音が響く。
窓口のシャッターが固く閉じられた知らない駅のベンチに座る。
案内の蛍光板すらない小さな駅でひとり電車を待つ。
ほんとうは電車なんてもうこないのかもしれない、と少し恐ろしくなる。
踏切の音を鳴らして電車はきちんとやってきた。
あの暖かな鍋の時間から急に切り離されて異界に放り込まれたような帰路だった。
知らない街ではイヤホンをつけない。
ノイズキャンセリングがうまく使えなくて、次の駅の案内や信号機の音を聞き流してしまうから。
慣れない場所で五感の一つを遮断するのは怖い。
今朝は宿を出ると、明るく晴れた朝があって、少しだけ音楽を聴こうかと電車待ちのうちにイヤホンをつけた。
久しぶりに音楽が頭の中で鳴る感覚。
初めてイヤホンをつけたのは、小学生のときだったろうか。
ご両親が転勤族で、引っ越しを繰り返していた彼女は、地元では誰も持っていない珍しいものをいろいろ持っていた。
そのときはCDプレイヤーに伸びていたイヤホンだったんじゃないだろうか。
両耳から挟まれて脳みそが音楽に浸る感覚に衝撃を受けたのだった。
あのときは明るい昼間だった。
いままでずうっと思い出しもしなかった彼女の笑顔と名前を急に思い出した。
山のなかから出てゆくと、いっぱしの人間のように日々を過ごす。
人と関わり笑い合い、作品を届けて知らない街でごはんをたべて電車に乗る。
人間やればできるんだよな、ふたつの意味で。
人生って複雑だ。








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