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  • 執筆者の写真すずめや

万年筆を添えて

更新日:2月26日

オンラインショップの撮影の際、大きさがわかりやすいようにと添えている鉛筆が猫たちのサッカーに巻き込まれてなくなってしまった。

もともと彼らにかじられまくりであり、ぼろぼろだったが、ついに行方不明になった。

新しいお供を添えなければならない。


それで袋に包まれたままだった万年筆をとりだした。

行方不明になってしまった友人にもらった万年筆だ。

いなくなっちゃってから、ずっと使えずにいた。


友人は製本家だった。

陶芸や革や装身具、あらゆるジャンルのものづくりのなかでも特に人口が少ない手製本。

彼は万年筆を愛していて、万年筆に合うノートを作るという信念のもと手製本をはじめた。

皮のぱんぱんに張ったおじさんであり、頑固者で一本気で義理堅く、やたらとせっかちで、仲良くなると信じられないくらい口が悪くなった。

いつも頭に巻いているてぬぐいは、本の表紙にするのに特別に商用利用の許可をくれたおみせやさんのもので、彼のまっすぐな人柄を象徴するものだった。

製本家として人前に出るときは、義理立てて常に頭に手拭いを巻いていた。

手拭い頭にはあんまり似合わないような、白い襟付きのシャツを着ていようがおかまいなしだった。


昭和の熱き義理人情の人間で、融通の効かない人だった。

まあまあそう言わずに、と、表面で受け流すことがなかなかできずにいろんなことに腹を立てていた。

いまでは化石となってしまったそういう彼の人柄が、作家仲間として心強く、奮起の燃料になり、まあ彼も彼で違う視点でわたしを見て、お互いたぶん、そうだったと思う。

だってSNSのDMを秒で返信するおじさんなんてみたことない。

よき隣人、よき作家仲間であった。


彼に教えてもらうまでは万年筆のことはぜんぜん詳しくなかった。

インクというのがこんなに種類があるっていうのも知らなかったし文房具ブームというのにも疎かった。

彼がTwitterを教えてくれて、いろんなところに繋げてくれた。

独学で製本を学んだわたしと違って、彼は製本をきちんと工房で学んだので、教えてもらうことも多かった。

同じジャンルの仲間が少ないと、たとえば作業中のあるある話が誰にもできない寂しさなんかがある。

しなくたっていいんだけど、ずっとできる相手がいないままやってきたんだからよかったんだけど、でもそういう話ができる人に会えて、とても嬉しかった。

彼のお店の移転オープンのときは、サプライズで新幹線にのってお祝いを言いにいった。

彼の地方で出展があるときは駅まで送ってくれたり打ち上げに酒を呑んだりしたものだ。

いつも仕事の話ばっかりしていた。


だからいなくなっちゃったとき、あんなに色々話したのに、プライベートのことをあまり知らなかったのにようやく気づいた。

それでもできる限りのことはしたつもりだけど、彼はいまも行方不明のままだ。

万年筆はインクを抜いてしまいこんでしまった。

思い出せば思い出すほど寂しくて寂しくて、とても使う気になれなかった。

彼の紹介してくれたインクのイベントからも足が遠のいた。

彼はSNSでの発信がとても多くて、動かなくなったアカウントはだからとてもぽかんとしている。

せっかちな彼にはSNSのスピード感が合っていたのだろう。


鉛筆が行方不明になって、それで彼にもらった万年筆を作品と一緒に載せよう、という考えにようやく手が追いついた。

なんか、いまかな、と思えた。

考えはずっとあったけど、寂しさから実行できずにいた。

行方不明の友人を思い出してお弔いモードになっちゃうなんて縁起でもない。

でもいまは、落ち着いてちゃんととらえられる。


ぐろっちよ、ごはんはちゃんと食べてるか。

あったかいところにいるか。

怪我や病気をしていないだろうか。

相変わらずアホみたいなペースで芋焼酎のロックを呑み干しているのだろうか。

わたしはあのとき言ってた人と岩手に引っ越したし人妻になったよ。

ぐらぐらながらもなんとかやっとるよ。

相変わらずしつこく製本ばっかしてるしぐろっちのこと忘れてないよ。

この写真の万年筆を覚えているかな。

今度どっかで会えたときには、また一緒に酒を呑むんだから、肝臓だけはちゃんと守っといてよね。

穏やかに過ごせていますように。



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