はらぺこあおむし
- すずめや

- 5 分前
- 読了時間: 2分
あれは理科の教科書だったか、図鑑だったか、絵本だったか。
ちっちゃなちっちゃな蝶々のたまごが孵り、あおむしになって、蛹になって、蝶々になるまでを図解した本があって、それをくりかえし読んでいた。ちっちゃなたまごから孵ったちっちゃなあおむしはまず、自分のたまごの殻を食べて、それではっぱの表面をちょっとずつかじる。まだちいさいから表面しかかじれないのだ。あおむしは自分の体よりずーっとたくさんの葉っぱを食べて、いっぱいみどりのうんちをして、あっというまにでっかくなって、蛹になって、蝶々になる。あおむしの日々はモリモリの食う出す食う出す、日々どんどん大きくなっていく。わたしはその様子が好ましく頼もしく、好きだった。
けれどもうわたしはあおむしの捕殺になんの感慨も持てなくなった。なんならぶっつぶしてやるぞくらいの気持ちだ。大好物の芽キャベツにはあとからあとから蝶々がやってきてたまごを産み付け、朝晩念入りに葉の裏までみても毎日あおむしをみつける。去年までくらいはあおむしの捕殺は嫌な仕事だった。可哀想だ。こんなにやわらかく、透き通ったみどりの美しいあおむし。これから蝶々になってゆくあおむし。蛹になったのをみつけて部屋に連れ込んだことも一度や二度ではない。
いのちには選別があるのだ。
わたしはようやくそれを理解した。
あおむしがかわいいからけなげだから蝶々のこどもだから、芽キャベツをたべさしてやったらこんどは芽キャベツはせっかく伸ばした葉っぱを丸裸にされて大きくなれない。あなぼこだらけの葉っぱ。もう芯だけになっちゃったのもある。かわいそうな芽キャベツ。
芽キャベツを植えたのは芽キャベツが食べたいわたしがいるからだ。わたしはお金を払って芽キャベツのタネを買った、芽キャベツのタネが買えたのはあおむしに負けずきちんと芽キャベツのタネが取れるまで育てただれかがいるということで芽キャベツのタネが買えるくらいノートを買ってくれた人たちがいるからでそれで。
なんかこんがらがってきたけれどすべてにおいてそうなんだってことだ。
すべての選択によってすべてが成るのだ、いのちもその選択の中にあるのだ、どうぶつが可哀想だからしょくぶつしか食べない、それはあおむしのことは可哀想じゃないってことではない、どうぶつが可哀想なんだっていうことなんだ。あおむしの話はしてないんだ。でもあおむしはそこにいたんだ。
あおむしを何匹も殺したのにわたしは蝶々を綺麗だなあと思って毎日みつめている。



コメント