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  • 執筆者の写真すずめや

なまえや、役割

友人が他人に傷つけられて憤っているのです。

仮名にびーちゃんとします。

(えーちゃんだとYAZAWAがちらつくので)


彼女を傷つけたひとの目を見据えて全員殴りたいなあ、という気持ち。

でもそれは彼女もわたしも含め、誰も幸せにならないどころか負の局面しかないのでやらないです。


社会性をもった人間、としての話。

最近はそこを前提で分けて人には語るほうがよさそうだというのに気づきました。

なんでってわたしがしっちゃかめっちゃかにして話がちだから。

ロジカルシンキングな感受性ババアですよ、やっかいだねえ。

で、話を戻す。


びーちゃんが傷つけられてすごい怒りがあるんです。

それは固有名詞としてのびーちゃん、というよりわたしのともだちのびーちゃん、て気持ちが強いんだなと思って。

でもともだち、は会社の上司とか、夫だとか、そういうレイヤー上にないから、その立場の人殴れない。

わたしが特別なともだちなの!って大声で叫んで全員殴っても変わらない、レイヤーがちがう。


加えて最近ひとと話したことで、

「お互いに好きだったら恋人っていうくくりいらなくない?なんで結婚ってのがあるんだろう?」

てな話もしてまして。


ふたり、一対一なら、なんの名前もほんとはいらないんじゃないかな。

だけどふたりだけで生きている世界じゃなく、もっと言うと社会じゃない。

社会のうえで生活をしている。


わたしがびーちゃんを特別なともだち、って思っているのは、文字通り赤の他人である、そのそばで生活しているだけの人には全く関係がなくって、ただびーちゃんとわたしはアルバイトで、会社には社員さんがいて、偉い人がいて、そのくくりでいる、えーっと、なまえ。そう。役割。ただの。

恋人、って名前をつけたり縛ったり?するのも、他の関係ないひとに簡潔に説明し、互いの領域を守るためなのかも。

ふたりにしかわからないところがあるのよ、って。

ともだち、だとなあ。

軽いよなあ、他人に対しての説得力がすくない、説明がないと。


人対人での関係が最小なんだろけど、増えていくと、なまえや役割で割り切らなくっちゃだめなんだろうな。

そら難しい、個は宇宙とおなじくらい広い。


よくとりとめのない話ばっかりしてる子に、

太陽のなかにひとっていると思います?なんか、意思を持ったいきものとか。

ってきかれたの

そのとき、わたしは、

個体になっている時点で意思や秩序をもったものがいる、と思うよ、って答えました。


秩序やルールがなくちゃ集団にはならないのかも。

役割以外の脳を持たずに生まれてくるいのちだってある、コントロールされている。働きアリとかね。


社会や秩序や政治のなかでしか生きられないのに、なんで気持ちがあるのかしら。

こんなふうに、なんでとりとめもなく世界のことを考え続けてしまうんだろう。

答えみたいのんが、いつかでてくるんだろうか。

探しているんだろうか。そんなふうでもなさそうなんだけど。

ずうっとここんとこ、もやもやしてるの。

なんかが大きく変わるのよ、きっと。

もう変わっているきらいもある。


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京都、奈良、秋田、岩手、名古屋

どえらいいきおいで飛び回っているこのごろ。 京都では懐かしい友人に会い、お客さまの元気な顔も見られ、スタッフさんとも朗らか爛漫、というたいへんホーム感にあふれた日々だった。 奈良ではエプロンの展示がメインとのこともあって、先輩方の胸をお借りして初めましてのお客さまに出会い、インスタレーションというおしゃれなやつをやり、あと販売の声かけもやっぱりわたしとはぜんぜん違って大変勉強になった。 作品を売っ

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