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  • 執筆者の写真すずめや

たすかるスーパー

3月末で10年以上アルバイトしていたスーパーを退職しました。

ちょうど末日がおしまいの日で、店舗営業もおしまいの日で、夕方には3回目のワクチン摂取とたいへん忙しい日でございました。


ほとんど製本をはじめると同時にバイトを始めたところです。

大学を休学して20歳で製本をはじめたわけですが、もちろんすぐ喰えるようになるあてもなく、奨学金も返さなきゃならなくて、フリーター状態でした。

生活費をアルバイトで稼ぐ、というのは一人暮らしの小娘にはなかなかしんどいことでして、いちにち働いて夜更かしして製本やって、ってかんじの日々でした。


大学に復学し、卒業して一回一緒にアルバイトも卒業しました。

河岸を画材屋さんに変えたのです。

そこでいろんな知識をつけて、いまお世話になっている紙屋さんの社長をたぶらかしたりして、そういえばなんでなのかいま思い出せないんですけど、よし、がんばって食っていくぞ!という謎の気合いで画材屋さんのバイトを辞めました。

開業届を出したからだったかな?

なんか勢いづいていたのは覚えているのですが…。


それであっという間に困窮し、スーパーの店長に食っていけねえ助けてくれ!と泣きつきの電話をかけたのでした。

オーガニックを扱うスーパーで、スタッフ全員無毒、優しく朗らか明るい太陽、洗い立てのシーツはためく広い庭、みたいなところなのです。

食べることが基本的に大好きで、そこには美味しいものがいっぱいあって、食べることが大好きな優しいスタッフが一生懸命働いており、社員割引があり、金銭的にもメンタル的にもとーっても助けられました。

作家業と二足の草鞋で無茶していたところもあって、そこで優しいお母さんがたと"今日はお天気がよくて嬉しいね〜"とか、"昨日のおつきさま綺麗だったね〜"とか、そんな話がただなんの含みもなくできることに癒されました。

無理してるとやっぱりどうしても尖ってしまう。

休んでない様子のわたしを見て、自分の休日にわざわざ店長が釣りに誘ってくれたこともありました。

海のそばで生まれたので、海にはいつでも会いたくて、けれど車もなく京都でチャリンコをぶっとばすのが精一杯のわたしには海は遠い存在でした。

本当に感謝しかない。


だから京都にいるうちは続けよう、と思って、あじき路地に引っ越して、お店を持っても続けていました。

百貨店への出展が始まって1週間以上留守することになっても続けていました。

社員さんらに、休みがちになってしまう、申し訳ない、と伝えても、続けてくれるのがありがたいから気にしないで〜というスタンスだったのです。

ほんとにお世話になりました。


引越しまでは2ヶ月ほどありますが、バイト先の年度末締めとわたしの出張過多スケジュールがちょうど合致したかたちで退社。

腕が4本ほしいくらいの大量のお選別を頂戴して、おしまいになりました。

最後の最後までわたしを食べさせてくれたスーパー。

今度こそ自分の腕一本で食っていくぞ。

ほんとのほんとにありがとう。


みんなにたまにはSNSに自撮りを載せろと口々に言われたのでたまに載せることにします。

もし自撮りを見かけたら、あ、お母さんたちに近況報告してるんだな、と思ってください。


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