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日々

  • 執筆者の写真: すずめや
    すずめや
  • 10月15日
  • 読了時間: 2分

じつは出張中にぬげたが腸閉塞をやり手術が行われ、経過の心配や加えて久しぶりの大型注文、それに土澤アートクラフトへの出展やや屁こき野郎ことカメムシとの戦いなどがあっててんてこ舞っていた。

ブログを書くのが久しぶりになってしまった。

ぬげたの容体が悪くなった福岡出張では上の空になってしまっていた日々があって、もしも接客にでてしまっていたら申し訳ありませんでした。


ぬげたの容体もおちついて秋晴れとなったきのうと今日は念願のおいもほりがあった。

畑の土から何かを引き抜くというのは素敵なことだ。

大根を引き抜きたくておいもを掘り出したかった。

農業経験のある夫がそういう夢を叶えてくれた。

うちの畑は少し掘るとすぐ粘土質のかたい土にあたってしまうやっかいなところがあるけれど、おいもは立派に育っていた。

野生動物がやたらといるので害獣ネットというのを夫が張ってくれて、根付くまでまめにジョウロで水をやった、というくらいの世話で後半はほったらかしでぐんぐんつるがのびた。

おいものつるというのは食べられるらしいが、広い畑にやたらな量植えたのでこんなにつるばっかり食べたくないなあと思ってこのまま引きちぎって枯らして燃やし、来年の肥料として次の世を生きてもらおうと思う。


土まみれになり、夫がほじくりかえしやすくしてくれたおいもをまるで我が手柄のように掘りだすのはとても楽しかった。

冬を迎える準備が始まった土のなかには幼虫のたぐいもほとんどおらず、柔らかいのをうっかりぷちゅっとしてしまうような不幸な事故も起こらなかった。

ひとかかえもある収穫箱にみっちりとおいもを掘り出し、ふたりでおいもを運んで家のそばに置く。秋だ。

これで仕事は終わりと思っていたら夫はのちにひとりでおいもの細かい泥を払い天日干しの準備までしていた。

おいしいところだけ体験させてもらってしまった。


おいもを掘っていると、いつも我々に食べものをくれる集落のご婦人が通りがかった。

彼女はおいもを食べると言った。

引っ越してきたばかりの時は、やたらと何かをくださるそういう集落のみなさんの好意にうまく返せるものを持っていないことにやきもきしていたけれど、だんだんこうやって返せるようになってきた。

出張に行った都会のお土産よりも、こういうおいもを差し上げられるようになりたかったのだった。

願えば叶うことも、たくさんあるのだ。

屁こき野郎が我が家に集まってきませんように。


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