先日、夫の休みの日に早起きして白鳥の湖へ連れて行ってもらった。
車で15分とかからずいける、よく使う道路の脇にある湖。
朝のうちはいま時分、たくさんの白鳥が浮かんでいる。
夫は仕事があるので毎朝みかけているが、わたしはいつもみられない。
朝の雫石は美しい。
朝の光をうけて輝く湖にうかぶたくさんの白鳥の群れ。
角砂糖をひと瓶ばらまいたような大きな群れ。
田んぼで何かを啄んでいるのは近くで見たけど浮かんでいるのをたくさん肉眼でみるのははじめてだった。
やっぱり白鳥は水に浮かんでいるのがいちばんいい。とても美しい。
彼女らはまるでカモメのような鳴き声で、はじめてその声を聞いた時はあまりのギャップにたいそう汚い鳴き方だと感じたけれど慣れると少し間が抜けていて可愛いなと思う。
室内にいても、鳴き声を聞くと外で白鳥が飛んでいるなというのがわかるようになった。
彼女らは人の気配に敏感で、少し近づくとすすと逃げる。
その逃げ方も上品だ。
何メートルも距離があるのに、なにかが寄ってくるのに気づいた瞬間にゆったり逃げていく。
気づく距離が長いので、ゆったり逃げられても追いつけない。
歩いていても浮かんでいても、手が届きそうで届かない。
近づいただけ遠くなっていく。
崖になっている場所から眺めてみても、崖の上にいる我々に気づいてゆったり逃げて行った。
渡り鳥である彼女らのいくつかの住処、どこかの国には鳥撃ちがいて、彼女らを狙うのかもしれないなと思った。
だから遠い距離にいても逃げる。
狙撃手のスコープ越しの眼を知っているのかもしれない。
おしゃべりが盛んな、ひときわ大きな群れを眺めていたら、にわかにみんなの声が大きくなった。
なにかしらと見ていると、群れのなかからいくつかの小隊が順に大きな山のほうへ向かって飛んで行った。
5羽から15羽ほどのまちまちの小隊、一隊ずつ順番に飛び立った。
大きな羽根を広げて輝く湖面から飛び立つ白い鳥たち。
帰り際にまだ湖面の凍っている場所で休んでいる群れをみつけて見に行った。
だんごのように丸まって、長い首を羽に突っ込んで、眠っているのが何羽かいた。
そばの民家から出てきたおばあちゃんが白鳥を眺めていた。
そういえば、こんなに美しく見応えがある風景を、ほかに見にきている人はいなかった。
いるのがあたりまえだから見にこないのかな。
なんて贅沢なことだろうか。
あの湖は輝く白鳥の湖ということにしてうまく宣伝文句をつくり、もっと誰かに見にきてもらえば人口減少に悩むわが町の少々の助けになるのではないかと思わなくもないが、遠くからやってくるなにかの気配だけでも逃げていく彼女らが落ち着いて過ごすには、これくらい人間が少ない方がいいのかな、とも思った。
なんにせよ観劇は静かに行うものだ。
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