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  • 執筆者の写真すずめや

くすみいろ

さて広島出張が近づいてきました。

荷造りはまだおわってません。

はあとひといき。


なんだかくすんだ素敵な色が作れたんです。

最近はいわゆる調色をしてみていて、

いままではチューブからだしたそのままの色を使うことが多かったんですけど、いろんな色と色を混ぜてその場限りの色を使ってみています。


くすんでる

にごってる

か。


ああくすんだいい色だなあと思いました。

きっといまだから出てくる色。

コロナ禍でわたしが食らっているのは、感情の平坦化、みたいなダメージでして。

プールとか池とかに例えると、感情と言う名のお水がずいぶん少なくなっていて、自由に泳ぎ回れたのに、たくさん浴びて、水中にいつまでもいられたのに、もうきっといま腰より下くらいじゃないかなあ。

たまに放水されて足されたりもするんですけど。

波の大荒れとかじゃなくて、お水の汚染とかじゃなくて、少なくなっちゃった。


そんなかんじかなあといま言語化できたのは、最近になって話すようになった、まあ新しい知り合い、と対峙しているときに、なんかうまく話せなくて、変な構え方をしてしまって、あれー?って思って考えたからです。


わたしに会ったことのある大多数のこのブログ読者さまでしたらよくお分かりでしょうけど、あんまり人に対して構えたりしないしフルフラットであることを心がけているしなにより人が好きなので、話しやすいほうだと思うんですよ。

よく笑うししゃべるじゃないですか、ね。

んでも、できなくて。

すでに付き合いのあるひととはまだふつうにできてて。

ただそこにも少し違和感があり。


いままでみたいにお水がたくさんないのに、いままでのように反応できないから、記憶というなの貯水池から反応を持ってきているようなかんじかなあ。

経験値が貯水池、なんてうまいこと言ったね。

たしかにずいぶん長くたのしー!ってなってないかもなあと思い返したり。

たとえばいま、梅田に作家仲間のみんなが出展にきていて、電車で1時間で、むかしなら週二回も仕事終わって梅田までかけつけて会いたくて話したくてごはんたべたり酒飲んだりしたくってしてたのに、いまはなんだかそういう気持ちにもならなくて。

関心がなくなった、とはなんだかちがう。

単純にお水が少なくって、泳いでそこまでたどり着かない。


体育座りしてるようなかんじ。

浸りたくなったら寝そべってみる、それでようやくつかれる。

水性のいきものだのにね。

両生類になる準備かしらね。

たっぷりの水の中にまた戻りたいでよ。


つうことで広島、広島、広島。

ひとにあう。

たくさん会う。きっと。

なにより作家仲間ばっかりの空間が久しぶりだ。

つくるで生きてるいきものたち。


そこで蛇口があいたらいいな。

枯れた小川に流れたらいいな。

みんなの話が聞けるんだな。


会おうと思えば会えるのに、会おうとならないこの状態を、看破するようなお仕事の予定。

ありがたいよな。

ちゃんとみんなとはなせるかな。



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