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執筆者の写真すずめや

あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願い致します。


元旦は夫が朝から仕事だったのでわたしも仕事してしまいました。

岩手の地酒を呑みながらインスタライブをつないで紙を染めたりとゆるめゆるめの始動ではありましたが…。

吟醸の甘いふくよかさよりも純米酒のきりりとしたのが好きですね。正月はいいね。


今年はね〜、いい贈り物ができる人になりたいね〜。

なんかね、こっちにきて、ひとさまからなんの気も無しにはいどうぞって色々もらうのです。

おうちで煮詰めたすごいおいしいケチャップとか銀鮭を捌いて燻製にしたやつとか、ご自宅で育てているお野菜とか朗読劇のチケットとか干し柿の柿とかとかとか。

あったけーのそれが。

でも岩手の人は(わかんない、雫石の特徴か集落の特徴なのか)反応とか見返りとかを見つめている様子がぜんぜんない。

あるのであげます、持っていますので分けます、それだけでございますみたいなかんじがある。

人とのコミュニケーションが卓球のような高速ラリーの関西からきたから余計にそう感じるのかもしれない。

まだ目が慣れてないだけでなんかあるのかもしれない。

でもその様子を伝えた親しい友人が、なんかそれって神さまがひとにものを与えてくださるみたいな姿勢だね〜って言って、あ〜、と思いました。

なんとか神さまとかじゃなくて、木は芽吹き花を咲かせ葉を茂らせまた落とし、とかいうでかいでかい回転をしているでかいでかい存在的な意味で。

栗の実は重たくなって勝手に落ちて人間その他諸々に実を食べさしてくれる、みたいな与え方?

伝わるかな。

空が果てしなく美しく感じて涙を流したりするけど神さまってば別にお涙頂戴してやろうと思ってそんな美しいのを見せてくれたわけじゃないと思うんですよ。

なんかそういうかんじ?伝わる?


なんかしらそういうあったけーのを頂戴するので、都会に出稼ぎにいったらお菓子をしこたま買って帰る。

半分以上は夫に食べられるけど、なんかしらお返しがしたくて買って帰る。

でもトラクターの運転席から、ほらこれアルミホイルで包んでストーブ乗せてたべな〜って放り投げられるいびつなかたちのさつまいもに、いまのわたしの返せるのは都会の煌びやかな包装の洒落たお菓子。

なんか違うやん。

なんかもっと返したいのや。

わたしもいい贈り物したいのや。

都会のお菓子が悪いのでなくて、ジャンルがなんかちゃうでしょう、わたしも岩手の人たちみたいな贈り物がしたいのや。

あったかいさつまいもみたいなお返ししたいのや。

なんの気無しに美しい、ぼろがびろうどに変わるってやつ、そういうやつをたくさん持ってお返ししたい!


作家なのやから作品で、お客さま方にはある程度お返しができているのやろうと思います。

でもそうだな、ここの土地に来て作品も豊かになれたのやから土地にも返したいんだろうな。

思えばいままでは作品とつくる手しか人生になかったのかもしれません。

見える範囲が広まったのかね。

立っている大地は広くなったね。

だから両手を広げていくのかもしれない。



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