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  • 執筆者の写真すずめや

穏やかな家

てんこ盛りであった諸々が落ち着いた。

やったぞ。


あとは大好きな仲間たちと愉快に大阪で一週間過ごしたら年内の仕事は終えたも同然。

というか出張がしばらくなくなる。

うちでゆっくりできる。

すごいことだ。もう何年もそんなことなかった。

そもそも休むというのが下手くそな性分でありいつでも戦地に赴いているようなきらいがあった。

自宅が仕事場だと休むというのはより難しくなる。

目の前に途中の仕事がいくらでもあって、それを気にせずに休める個人事業主なんかいるんだろうか。

社会人経験もないので、休日という感覚自体がごく薄い。

せかせか動いていた、ずっと。


しかしこの地の穏やかさはいくらでも頑なを溶かしてゆく。

犬のぬげたがやってきて、散歩が日常に組み込まれたことで緊張の融解は速度を増した。

目の前に広がる美しい山や空をしこたま浴びる。

ぬげたは散歩の途中で座り込むことがある。

いつもわたしの前をさくさく歩く彼が、自分のゆきたい場所へ鼻息荒く突っ込んでいく彼が、急に座り込んで目を細める。

その瞳に陽がさすと、黒く濡れたひとみが透き通った茶色になる。

じっと一緒にしゃがんでいると、脳の芯がどんどんゆるくほどけてゆく。


気楽な一人暮らしでなくなり、家族を支えるプレッシャーがあり、マリがいなくなって、なにもかもの経費がどんどんあがってゆき、戦争が続き、あげていけばキリがない。

コルセットを締め付けるように幾重もの紐がさまざまな手引きでからだを締める。

だけどここは、この場所の風景も、先に住まう人たちも、うちの家族たちもみな、紐で締めることはしない。

ただ穏やかに在り、笑って、働き、ごはんを食べている。

本当にここに来れてよかったなあと思う。


この12月はとってもあったかくて、もう雪もほとんど溶けてしまった。

いちど雪に潰された草木はずいぶんしょげかえり、黒く潰れている。

早朝から走る軽トラック、集落の奥で音を響かせるトラクター、だれかが昨日掃除した小さな神社、我が家は集落の先の街に向かう道沿いにあるので、仕事場にむかう人の車もだいぶわかるようになってきた。

そういう些細な営みが身をのけ反っても視野に収まりきらない大きな大きな山あいの自然の中で綿々と紡がれていく。

それは締め付ける紐でなくて、編まれて布になる糸のちからなのかもしれない。



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