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  • 執筆者の写真すずめや

里心

我が家は鶯宿温泉という温泉街の先にある。

お世辞にも賑わっているとは言えない温泉街だけれど、昔は賑やかだったんだろうなって名残りの看板や空き店舗がある。

というか実際に賑やかだったんだよなんて話も聞いた。

わたしはどっちかというと新しいものより断然古いものに愛着が湧きやすいたちなのでその雰囲気まるごとけっこう好きだ。

ところどころ街灯の電球が切れているので夜はホラーな雰囲気になるところもけっこう好きだ。

閉めてしまったスナックの、昔ながらのデザインの看板、割れた窓、破れた障子、けっこう好きだ。


けれど衰退の気配は地域にとってよくない。

賑やかさを取り戻したい。

ということで自治の範囲で鶯宿温泉を語る会というのをやるので有志の方はご参加くださいという会に勇気を出して行ってみた。

ぜんぜんそういうのに顔を出すタイプではないけど、でもここにはたぶんよそものの意見、つまりお客さん視点の意見とかないだろうし別に若者という歳でもないけどここでは若いほうの人間なんだし大学は環境デザイン学科で建築だのインテリアだの街づくりだの学んだ身なのだしともちゃもちゃ自分に言い訳をしながら参加した。


思ったよりも意見が言えたし聞いてもらえて、話も聞いて、なんとなくうすぼんやりの現況も掴めたと思う(うすぼんやりでも思っていたのの数倍深刻な状況だった)。

宿屋のご主人やお店屋さん、議員さんや町役場の人、はじめて顔を見た方ばかりだったけれど、会話の雰囲気が、やっぱり関西とはぜんぜん違って、深刻な話のはずなのに穏やかさすら感じて、ベクトル違いだけれどなんだか雰囲気が嬉しかった。

お話会が終わった後はたまたま参加されていた同じ集落のお姉さんに乗せていってもらえて、それもとても嬉しかった。


お話会のまえもあとも、1日のうちけっこうな時間、温泉街のことを考えている。

温泉街のことを考えている自分を俯瞰してみるに、これはもしや里心というのの芽生えではないかと思う。

いや使い方として間違っているとは思うけど故郷でないところに里心を抱くこともある、ちがううまい言葉がありそうだけどまあ、たとえば高校生のクラスTシャツ、あのときクラスTシャツには国旗と同じ意味があり、毎年生徒が入れ替わるただの部屋が要塞であり戦場であったあのきもち、いやちょっと言い過ぎかな。まあそういうやつ。


移住して2年ぽっちも過ごしていないし家でこもり仕事で出ると言えば都会、会話をするのは家族と集落の人と宅配の人くらい。

全くといっていいほど地域のことを知らないくせにこんな心が芽生えてしまって不思議なことだ。

自分と家族で手一杯のくせになにかできたらいいなあと思ったりする、なにかできるかなあと夢想する、分不相応だろとはわかっている。

叶わないとわかりきっている恋と似た距離感。


でもほんとうに、ここに越してきてから良い時期ばかりだから、自分の自覚よりずっとここのことが好きなんだろうな、と思った。



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