こんどの催事、〇〇色、ありますか?
という質問が実は苦手。
よくある質問なのに苦手。
ことばはむずかしい。
私がたとえば赤色だって思ってるのは違う人からみたら茶色かもしれなくて、そもそも私が赤色だと呼んでいる色、それはほんとうは青色かもしれなくて青色のことを赤色って呼んでるだけなのかもしれなくて色ってなんだとわからなくなる。
実際に見てこれがいいというのは間違いないのだけど。
こういう仕事のしかたをしている、遠方に行っておきゃくさまにきてもらうってかんじなのでそりゃ御足労をおかけするわけだから答えられたほうがいいに決まってるんだけど赤色ってなんだろうというのが邪魔をしてしまってうまく答えられない。
数はたくさんあるのでたぶんどこかにあると思いますという言い方になってしまう。
特に絵の具を混ぜてそのときどきの色を作っているので今作っているこれは言葉でいうと何色なんだろうというのはどんどん自信がなくなる。
こないだの博多で大好きな先輩と、作ったものをアートとか言い切っちゃうのまじむずくねっすか、なんて話をして盛り上がったんだけどそれも根が同じだ。
センスや才能というのももともとの持ち物ではなく研磨の先にひかるなにかであるよな〜なんて話もして深く共感しあった。
そもそもアートってなんなんだよ、って思っちゃうのだ。
芸術家、というのもむずがゆく座りが悪い。
作家とかクリエーターというのがぎりぎりだわというかんじがある。
しかしどうもこうやって思考をめぐらしこんがらがっている作家は少数派らしいことがみんなと話してわかった。
悩まずアートと言い切れる人もいる。
その悩まずというのがポイントなんだよなあ。
それ、わかんねえよなあ、って頷きあえる先輩は本当に貴重な存在である。
私の場合思考はだいたい巡って結局おなじところにいきつくが、巡った道のりがあるので同じところのもういっこ深いとこにいっている。
いきついたらまたもういっかい疑ってかかって、たぶんそうして磨いている。
だから変わってないね〜って言われることも多いけど実は何周も歩き回っておんなじ場所にいるだけだったりする。
もっとずっと、何周もしたら、赤色はこれですって言えるようになるのかなあ。
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