おとといの夜は夫が仕事で、
晩ごはんはラーメンがいいと言い残して出て行ったのでご飯の用意もせずだらだらワインを飲んでいました。
いつものように玄関に車の止まる音がして、
おでむかえにいくと、夫がキャリーを差し出した。
子猫や!!
なに?????????
保護猫、保護犬の施設で働く夫。
いまは子猫が生まれる時期で、施設には育児放棄の憂き目にあった子猫が毎日のようにやってくるらしい。
そこで1匹どう、と言われ連れて帰ってきてしまった。
動物が何匹いても大丈夫な大きなうちに住んでいて、子猫をどう、と言われて断れる人間は少ないはず。
こないだうちにきたミリだって、どう、と言われてわたしは断れなかった。
猫ちゃんは可愛い、たくさんいるともっと可愛い、しかも大丈夫な環境に暮らしているのだ。
この子は農小屋で生まれ、農作業が始まって農小屋に人間が出入りするようになって母猫がいなくなってしまったんだそうだ。
黒と白の、靴下を履いた、片手に乗るようなちいさな子猫!!!
片手に乗るような!!!
夫はキャリーと子猫と毛布と一緒に、哺乳瓶とミルクと子猫用のパウチとカリカリと消毒薬ももらってきた。
まだ生後1ヶ月になるかならないか、この小ささでは持病やノミがいたとしても、お医者さんにかかるのはまだ早い。
先住猫たちにうつる病気があるかもしれないので、
しばらく隔離部屋で過ごしてもらうことになる。
なんと気軽に家族が増えたことだ。
信じられない事態だ。
みゃあみゃあ、ぴゃあぴゃあと甲高い声で鳴く。
鳴くというより泣くというかんじで心が大変にざわつく音だ。
心配させようとしている。
地震のアラーム音はひとが不安になるような設計で作られた音だそうだが、子猫の鳴き声もそういった意図をもって作られているに違いない。
心臓に悪い。めちゃくちゃくっついて世話をしたい。甘やかしてやりたい。不安を除いてやりたい。
だが夫曰く、
子猫が鳴くのはたしかに不安だからだが、
そこで求めるままかまってしまうとわがままな猫ちゃんになってしまう。
我々も仕事があるのだから、ある程度は突き放し、その環境に慣れてもらうほかない。
まだ小さいのだから、すぐに順応するはずだ。
いまはお母さんと離れてパニックだけれど、うちにもすぐ慣れるよ。
子猫は20時間眠るらしい。
ほっといてやらなきゃならない。
ごはんと、お水と、排泄のお世話をしてやり、あたたかく保った寝床を用意してやり、場所に慣れるのにまかせるのだ。
時間薬というやつだ。
おかあさんがいないのに気付かなきゃならない。
1人で生きていくのだとわからなきゃならない。
朝昼晩と、1日3回ほど、お世話をすればいい。
そんなわけにいかない。
きのうは夜中にトイレに起きてそのまま隔離部屋にむかいごはんをやり甘やかした。
子猫はにゃかにゃか言いながらぺちゃくちゃごはんを食べた。
手のひらからも食べた。
子猫の小さな舌が、手のひらを撫でるあの感触!
つぶれそうな危うさのいのち、でも確かな鼓動と温もり、ちいちゃなおててにちいちゃな爪、まだ視野のはっきりしない、キトンブルーの瞳!
先住猫のマリもミリも、
甘えん坊のおしゃべり猫だ。
ミリが来た時も子猫だった、夫は同じように忠告をしてくれた。
でもそのときもそんなわけにいかなかった。
夜中に起きてはミリの部屋へゆき甘やかした。
朝起きては様子を見にゆき、
扉の向こうで鳴く声に返事を返した。
それで甘えん坊おしゃべり猫が完成した。
わたしはいままた同じことを繰り返している。
マリ、ミリ、ムリ(ぬいぐるみ)、新しい猫はメリだ。
メーメと呼んで甘やかしている。
甘やかしたい。子猫はそういうふうに設計されてうまれた生き物なのだから、抗いようもない。
子猫をほっておくなんて背神的行為にほかならない。
神に背いても大体いいことない。
子猫が猫になったからって可愛いのにはかわりない。
猫という生き物自体が可愛さによって生き残るという手段を選択した種族なのだ。
そしてその道に至るまでには神のお導きもあったはずだ。
神に背いても大体いいことない。
猫は可愛い。
猫はたいせつ。
わたしは家族のため頑張って働かなきゃならない。
愛する可愛い家族のため。
それはなんて甘美な喜び。
自己肯定感も爆上がりというものだ。
がんばるぞ、おー。

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