博多阪急の売り場に、
十数年ぶりに会う高校時代の後輩が来てくれた。
部活の後輩。
ぴかぴかのどんぐりのような女の子でちっちゃくてころころ笑う、久しぶりの笑顔、全然変わってなくて本当に可愛かった。
田舎の小さな小学校、中学校、クラスはひとつかふたつで、図書館じゅうの本を読み尽くすような子どもだった私は中学に上がるころにはこの狭い場所にうんざりしてしまっていた。
誰も本を読まないし映画も音楽もない、世界はもっと広いのに。
そんなふうに思ってつらかった。
それで高校はわがままをいって地域で一番大きい高校に進学した。
ひと学年に10を超すクラスがある、マンモス高校である。
そこで吹奏楽に出会った。
楽器はホルン。
きんぴかの渦巻きが息に合わせて甘いふくよかな振動を響かせる。
坂を転がるようにのめり込んだ。
始発で向かって帰りも許されるギリギリの時間まで楽器を吹いた。
吹けば吹くほど音は自分のものになっていった。
吹けば吹いただけ上達する。
幾重にも重なる旋律の中、わたしの一音が、それぞれの一音が各所でメロディーの濁流となっていく。
夢中だった。
ずっと吹いていたかった。
しかし選択した受験は時期が最後の大会にかぶっていた。
美術系大学を選んだのでデッサンを習いに都会まで通わなければならなくなった。
高校で広い世界で息をすることの素晴らしさを味わってしまったわたしは、さらに広い世界へ進む方の道をとった。
部活は途中でやめなくちゃならなかった。
規律の厳しい部活だった。
振り切るために部活で禁止されていたパーマをあてた。
ふわふわになったあたまは吹奏楽部とわたしを切り離した。
受験を終えてからも一縷の望みはあった。
卒業前の定期演奏会。
だいたいのみんなが受験を終え、高校生活の最後をそれぞれの息吹によって彩る。
受験を終えて、戻らせてもらえないだろうか、と打診したが規律に厳しい顧問はそれを許してくれなかった。
振り切るつもりが揺らいでしまって、そんな自分もみじめでかわいそうだった。
ほんとのほんとに砕けた望みをかかえて部活のみんなと友達ができるほど大人じゃなかった。
思春期の傷つきやすい少女だった。
いまでも楽器を続けていて幸せな夢を見る。
いまでも楽器が続けられなくなって泣く夢を見る。
十数年ぶりに会った後輩は、はじめて入ってきたときから自分の楽器を愛していて、ちっちゃいのにとびきり上手で、背筋を伸ばして雲にも届くような音を伸ばしていた。
だけど妙に自虐的でコミカルで可愛い。
いまやセミプロ、演奏会がたまたまこちらであって、日程もあって寄ってくれたんだそうだ。
あのときのごちゃついたきもちを取り出せる自分に驚く。
未だに根に持っているのはたしか。
復帰を許してくれなかった顧問のことか、愚かだった高校生のわたしのことか。
とにかくホルンが吹きたいなあ。
やめちゃったときからずっとホルンが吹きたい。
いまもむかしも経済的に手が届かない。
高校生のときはマウスピースだけ、アトリエMのものを買ってもらえて使っていた。
そのマウスピースをとっておけばよかったのに、大袈裟に絶望していたあのときのわたしは二度と吹けないと思い込んで、学校の楽器ケースに一緒に詰めてしまって卒業した。
小さなホルン吹きの納骨だった。
ホルン吹きは蘇るだろうか。
蘇らせることができるだろうか。
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