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  • 執筆者の写真すずめや

#作家になった流れ

更新日:2023年11月17日

SNSで作家になった流れというハッシュタグが流行って(?)いて、いろんなジャンルの作家さんの道のりが垣間見えて面白い。

わたしもやってみっかと思ったけど短くまとめられる気がしないのでこっちに書いてみようと思う。

ていうか作家って作家だって自分がいいだしたらもうそこで作家になったになっちゃうんだから結局ここまでの道のりの話だ。


20歳、進学先の京都の某芸術大学でこのままこの専攻の学問を続けていていいのだろうか、違う気がする、と煩悶し休学。

身近にあった製本を始める。

青空文庫から著作権切れの作品をひっぱりだして豆本なんかをつくっていた。

夢野久作がおきにいりだった。

この2年で売れるようなものが作れなければ芸術の道で食っていくなんて絶対無理、と若者特有の頑固さとひたむきさで決意しひたすら作業し製本に向かい合っていた。

とはいえ家賃も光熱費も紙代も必要なのでほとんどフリーター状態だった。

寝る間を削っていた時期。

百万遍の手作り市にはずいぶんお世話になった。


22歳で復学。

休学と復学のときに決意表明的な文章を提出するのだが、先生がた曰く2年前と言ってることがちっとも変わっていないねとのこと。

文章のことはひとかけらも覚えていなかったので驚いた。

ちなみにいまもぜんぜん思い出せない。

年下の世代は恐ろしかったがすごく優しいこたちばかりで助かった。

優しいこたちだとわかってからもデザイン科特有のキラキラぶりに恐れ慄きしばらく警戒していたと思う。辛抱強く付き合ってくれて本当に助かった。

この間も作家活動は続けていた。


24歳、卒業制作で1/1スケールの店舗を制作して卒業。

店舗というより小屋にちかいものだったがゲストで評論に来ていた建築家の坂茂氏に褒めてもらってたいそう嬉しかった。

卒展ではノートを実際に売って製作費を回収しようと試みたが全く回収できなかった。

おわりの12とはじまりの13という数字しばりで建築した小屋は卒展の終わりとともに廃棄した。

そこから就職せずにフリーターと作家の二足の草鞋の生活が始まる。

ちなみに就活はちょっとしたけどだめだめだった。


こっからしばらく暗黒。

奨学金も無くなって安アパートだったけど家賃を滞納するしまつ。

紙ばかり買ってた。

変な広告のたぐいにもひっかかった。

広告料が◯万円で新聞に載せてあげる、とか雑誌に載せてあげる、とかのやつ。

そういうとこはだいたい電話で営業をとりつけるが若く世間知らずで生活に必死だったのでお金を払った。

生活に必死だのにお金を払うのはいま考えたら矛盾があるのだけど、そのときはそのぶん売れるはず、と信じていた。

効果はほぼなかった。

イベント系だけでなくminne、 creema、iichiなどにも登録して毎日必死こいていた。

もちろんアルバイトもめちゃくちゃやってた。

アルバイトで生活費を稼ぐには、結局社会人と同じくらい働く。

それで賃金は安いのだからよくやってたなって思う。

もうすこし頭が柔軟なら、就職してお金を貯めることができただろう。

このときはとてもとても、頑なだった。


29歳、30を目前にしてもうそろそろ現実的に無理かもなと折れかけた。

食っていけない。

そのとき、ある路地で店舗兼住居を持てる話がやってきて、親に引っ越し代をもらってそこで仕切り直しすることにした。

ほんとのほんとの最後だと思った。

路地の店舗の売り上げでは家賃を賄うことができなかったが、店舗ができたことでなにかしらの信用になったようで、百貨店出展のはなしが来た。

はじめての百貨店は新宿伊勢丹。

いま考えてもだいぶおかしいチョイスだけどそこを選んだのは企画屋さんだし変な縁だなと思う。

そこで大恩人に会って、だんだん外に出ていくようになって、食って行けるようになった。

お金がなかったので遠征のときは夜行バスで行ってゲストハウスに泊まって、その支払いもカードで後回しというありさまであったがいままでにない手応えや学びの連続だった。

作家ってどうやって生きてるんだろう、のひとつの答えがここにあった。


32歳、コロナ禍。

世界が揺らいだ。精神的にずいぶんダメージを受けた。

しかし仕事としてはかえってよい効果があった。

おこもり需要でインクや文房具のブームが燃え上がった。

紙も染められるようになっていて、注文が増えた。家賃もちゃんと払える。いちごも買える。服が買えるようになったのは嬉しかった。

しかし自宅兼店舗というのがコロナ禍でかなり辛くなってしまった。来てくれるひとたちの安全にも不安があるし、消毒しきれない自宅に不特定多数のひとを招くのはとても悪いことのように思えた。

コロナ禍初期、このときは、招く、誘う、そばにいる、がすごくわるいことだったと思う。

常に人の気配のある、路地という場所の特性が辛くなった。

出ていこう、と思った。


34歳、憧れのイーハトーヴへ。

オンラインショップはじぶんとこで作ったやつ一本になっていた。

百貨店や丸善さんでの出展を軸にする。

引越しですっからかんになったものの生活自体がとても豊かになっていま35歳。

15年間やってきていま。

家族が増えて車を手にしでかいアトリエを持てた。

お金はずっとないけどいままで経営として数字を追えるほど賢くもなく余裕もなかったので今季の冬籠りでちゃんとやってみようかなと思っている。

15年やっててもそんなかんじだ。

賃貸だし車は長いローンだし月末はいつもピギャーとなっている。

でもずっと目標は製本を続けていくことなので日々達成できていることにはなる。


心なんて一生不安さ、という歌詞を思う。

生活はできそう?それはまだ。

そう歌いながらここまでたどり着いた、というかんじ。

目覚ましが鳴って、いつも鳴って、跳ね起きて、進む。


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