東京、丸の内丸善に来ています。
売り場の背面に、ふせんの販促のためのボードが設えてあります。
父の日のメッセージを書いてボードに貼ってね、というもので、おこさまは可愛いらしいメッセージにイラストもつけてふせんをボードに貼る。
東京駅にはポケモンのキャラクターショップがあるためか、ピカチュウが2匹くっついていた。
1988年うまれのわたしはど真ん中のポケモンキッズ。
151匹の、ゲームもアニメも夢中でみていた。
となりのブースの利根川さん(紙とゆびさきさん)も同年代で、なんとなくポケモンの話になった。
それで、そういえばいままで誰にも話したことなかったドククラゲの話をした。
利根川さんがやけにその話を気に入ってくれたようで嬉しかったのでこのブログにも書いてみようと思う。
当時はCDが100万枚売れる時代だった。
猫も杓子もみんな同じものを好きになる波がある時代だった。
日本中の子供は1人残らずみんながポケモンを愛している、と言いたくなるような空気があった。
わたしもゲームに夢中だった。
あるとき、たぶん、なにかのアンケート。
これに答えるとなにかもらえるとか、そういう、答えたほうがいいやつ。答えなきゃならないやつ。
アンケートの質問のなかに、嫌いなポケモンは?というのがあった。
嫌いなポケモンなんていなかった。
そりゃあ贔屓のポケモンはいたけれど、嫌いなポケモンなんていなかった。
なのに、嫌いなポケモンは?という質問のその回答スペースを埋めなきゃならないと思い込んで、ドククラゲの名前を書いた。
ドククラゲは名前の如く、毒のあるクラゲをモチーフにしたポケモンで、ブルーと紫のカラーリングに触手があり、瞳は鋭く影から覗き、デザインがなんというか悪者っぽかった。
悪者だから嫌ってもよかったのかもしれなかった。
そのアンケートを投函してから少し経って、本当はドククラゲのことぜんぜん嫌いじゃないのに嫌いって書いて悪かったなってすごーく後悔した。
嫌いって書いたアンケートを取り戻して塗りつぶしてやりたかった。
でもそんなことはできなくて、そのことを、その後悔を、じつは35歳になってもまだ、ふと、思い出すのだ。
ドククラゲ、ごめんなあ、と思う。
まだときどき思い出して、ごめんなあ、と思う。
利根川さんが、せっかく東京駅にいるんだし、贖罪にドククラゲグッズを買いに行ったらどうだろう、と提案してくれて、それはいい考えだと調べてみたところ、ドククラゲグッズはみんな売り切れになっていた。
あのアンケートにドククラゲの名前を出さなかったら、ドククラゲグッズは手に入ったのかもしれなかった。
ここから先は利根川さんには言ってない、なんでだっただろって考えた末のこと。
人の顔色を伺うこどもだった。
親は忙しくしていたので、かまってもらうためにはわがままを言うよりご機嫌をとる方が効率が良かった。
愛されるために愛らしいよう、振る舞っていた。
その場に合わせてわがままや個性や自分の気持ちを飲み込んで我慢するやり方を知っていた。
幸いに本をたくさん与えられたので、その年頃にしては頭の回るこどもだった。
先生や大人の答えてほしいことがわかったし、作文や絵や自由研究で賞を取るのなんて技術のひとつだった。
たぶんそういうのが、ドククラゲのことに全部つながる。
わたしは卑怯なこどもだった。
素直に気持ちを言うことよりも、大人に問われた空欄を嘘で埋めることのほうがわたしにとっての正解だった。
なんだかそれは、たぶん自分が大人になってからもあとをひいている癖で、だからまだ、ドククラゲのことを思い出すんだと思う。
あのとき素直にかけたらよかった。
みんな大好きって言えたらよかった。
こんな質問しないでよって、言えたらよかった。
大人になってしばらく、そのやり方をできることが役に立った時期もあったのだけれど、やっぱりそのころの作品は、なんだか窮屈で頑張っていて、いじらしく悲鳴をあげていたように思う。
なんでもかんでも素直になりたい。
でもそれには、素直になった末のものが美しいものであるためには、だれかの良きものとして生まれるためには、心が綺麗で澄んでいることが大事だと思う。
悩みや不安があるのは当たり前のこととして、健やかであること。
そうあれるように前を向いた努力をしていきたいと思う。
ひとはいつでも変われるはずだと、そう思いたいからそう思おうと思う。

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