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執筆者の写真すずめや

ゆめ、さあ

夢は落ちるものでさあ、

それはたぶん意識が落ちるみたいなことでさあ、

夢は無意識下にあって、無意識下ではあるけどもじぶんのもの、ではないですか。


でもさあ、夢という名の怪異とか、いきものとか、なんか自分とは違うなんかであることだってあり得ないことではないよねえ。

眠りが四肢を縛り付ける、という一文が読んでいる本のなかにあって、あら、こういうこともあるかもしれない!と思ってしまいました。


夢と眠りは確かに違うものだけど、夢を誘うために眠りがあるのかも。

お花が甘美な香りで蜂を誘って、甘い蜜がありますからよってらっしゃいよ、と伝えるけど、ほんとうは花粉を運んでもらうためのお誘い、みたいなこと。


私は夢の中にいくつか世界があります。

その世界は歳をとるにつれ、環境が変わる。

同じように歳をとっているかはわからないけれど、夢の中にも時間の流れが確かにあるのです。

年表が書けるほどしっかりした流れではないけれど、その夢の中のうちの一つの世界には、四畳一間が何層にもごちゃごちゃに積み重なったようなアパートがあります。

上と下はあるけど、食い違いになっていたりするので階段がなくてもどれかの天井を踏んで上の階にいけるのだ。

そのアパートには猫がいて、その猫は初めは愛するわたしの猫、マリちゃんだったわけですが、なんどかその夢のアパートにいくうちにマリとは顔の違う猫だとわかってきた。

2匹目のマリなのでニマリと呼んでいます。

それでも猫は猫で可愛いので仲良くしたのですが、ニマリはマリでないとわたしが気づいたらなんとなく距離感が遠くなってしまいました。


世界はいくつもあって、小学生からみている場所もあるし、あれここは、そうだ、と思い出す場所もあるし、初めからその世界のつづきをやる場合もある。

深層心理であてはめて、もっと詳しく専門家に話せばははあなるほど、ということもあるのでしょう。


でもなんかこのいびつさがさあ、もし、夢というのがわたしと別の何かでさあ、眠ってしまったあと、もやもやと私を包んで、もしくはひたと迫る水のようにわたしを沈めて、よその世界をみせているのかもしれないよね。

わたしの見る夢は、ありそうでなさそうな世界だけど、人間界の話ではある。

夢がさあ、いろんな人間をみて、包んで、夢なりに作った世界を見せてくれてるのかもしれない。

ニマリが遠くに行ったのは、夢が、ああ、違ったってわかっちゃったか、って遠ざけたのかもしれないよねえ。

へんなつくりのアパートには違和感なかったから、夢は次の誰かにおなじアパートをみせるかも。

そしたら次の誰かはこのアパートは変だ!って気づいちゃって、夢はそれを治すかも。

そうやってちょっとずつちょっとずつ治していって、その人に対して現実と寸分たがいない夢を夢が作れたら、そこから帰ってくることは、できるものかしらねえ。


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