我が集落には山の神がおわします。
ほんとに山の神って神社に書いてある。
前も書いたかもしれないけど鳥居も丸太そのままのワイルドでシンプルな神社です。
去年は出張でまつりにいけなかったのだけど今回は参加できた。
個人的な目玉はコロナ禍で数年なかった神楽の復活。
神社には本殿と別にちゃんと神楽用の舞台があるのだ。
なんだかんだでぜんぜん見に行けてなかった伝統芸能、ついに。
夕方集合して、まずは祝詞とお清め。
本殿の中にあがりこんで、烏帽子のきんきらの袈裟のお爺さんにふさふさを振ってもらう儀式。
知識が乏しいためアホの子のような描写になってしまう。
かしこみかしこみもうすと言うと言祝ぎがおわるしくみらしい。
お清めの言葉と祝詞があって、そのあとつやつやの葉のついた枝をひとりひとりおじぎをしてから神さまの前に置く。
どうもこれは一家にひとりのやつだったのだが我々は夫婦で出てきてしまった。
神さまに欲張りだと思われていないといいけど。
烏帽子の人が帰るとなんとそのまま本殿の中で宴席がはじまった。
一家にひとりのやつなのでお弁当(おかずがたくさんこまごま入ってるおっきいやつ)はひとつだったがお酒が振る舞われたのでつまみにちょうどよい量だった。
夫はなんだかいろんなところからセットの握り飯を追加でもらい、しっかりしたサイズ感の握り飯をぜんぶで5個くらい食べていた。
ここの集落には我々よりご年配のかたが圧倒的に多いということもあるが、どうもここは腹いっぱい食べさせることが大切という場所みたい。
きたばかりのときに開いてもらった歓迎会でも喉元まで詰まるほど食べても食べてもなくならない食べ物とおみやげまでいただいていた。
宴席のあいだはけっこう集落のみなさんがガチの岩手弁で会話が盛り上がっていた。
ほんとの岩手弁ではわたしは会話の内容が2割くらいしかわからないのがわかった。
いつも話しかけてきてくれる時はほんとの岩手弁じゃなかったのだ。
むかしトロッコがあったときの話と、クマ退治の話と、どぶろく密造時代のあれこれ、話題はすごく興味のあるやつだったので必死に聞いていたが難しかった。
必死で聞いていると口がぽかんと開いてたそうでそれを笑って突っ込まれた。
いじられると認めてもらえたような気がする、のは関西が長かったためだろうか。
結局クマは増えている、という結論かと思ったが結局クマは減っている、と言ったような気がする。
だんだんと神楽のひとたちが違う場所からやってきて、準備が整っていくのを見計らったかのように、一家にひとり、以外のひとたちが集まってきた。
お姉さま方は神楽の舞台の前に用意された簡易な物見席にきゅっと詰まっていった。
わたしもきゅっといっしょに詰まった。
神楽は一見してなんともわからぬものであった。
筋があるのだそうだが知らないとエンターテイメントとしてはわからない、たぶん能にちかいのだろうと思う。
お姉さま方がここの舞台はちっちゃいから踊りづらそうだ、と口々に心配されていた。
でも鳥がでたり獅子が出たりで筋ものとしてはぜんぜんわからなかったが映像としてはたいへん楽しかった。
なんかよくわからんけどかっこい〜、くらいの理解度である。
神楽は1時間を超す。
けどむかしはもっと長く、日が変わるまで舞い、そのあとごはんをご馳走して集落のだれかんちに泊まってもらっていたんだそうだ。
そのためのしつらえもあったそう。
神楽は今回はBGMのように流れ続け、お姉さま方のスピークイージーの会も本殿の宴席も続き、歓談、あとから撮った動画は神楽の音よりおしゃべりの声の方が大きく聞こえていた。
本殿の宴席は神楽が始まる前から、前奏曲を神楽隊が本殿にあがってやるのだけどそのときもすみっこに移動したままで続いていた。
神楽が始まってからももちろん呑んでいる。
途中で本殿にいた夫がバチバチに酔っ払ったようすで本殿にきてくれと言いにきた。
知らないうちに一升瓶の2本めが開いたそうだ。
わたしはお姉さま方ときゅっと物見席に詰まっていたので一旦はあとでねとすげなく返したがやっぱり気になって本殿に行った。
夫はたぶん、すごい酒豪の、だが静かな、目の澄んだ大工のお爺さんに気に入られている。
こないだ集落全体で応援に行ったマラソン大会でもふと2人で消えてなぜか団子を買って帰ってきたし、出張でわたしがいないあいだ山菜取りに連れて行ってもらっていた。
夫はお酒の進んだお爺さんにコップになみなみの御神酒をつねに注がれていた。
人見知りなので堪えているがだいぶきまっているようすだった。
はじめてこのうちに来たとき、このうちの玄関を開けてくれたのがそのお爺さんだった。
そのときわたしは彼の澄んだ目にずがんとやられ、密やかに推しとしているのでずいぶん嬉しく思った。
なので仲良くなあれと思ってあんまり近くに行くのはよして、本殿にあがる階段にすわってまた別のお姉さま方とおしゃべりに興じることにした。
ちなみに本殿や神楽の舞台に女人禁制とかはないのだそうだ。
あとしまつのときに舞台にあがるとき聞いてみて大丈夫だった。
山といえば穢れ、で女というのは嫌われると思っていたのですこし驚いたが、我が家の氏神さま(集落の神さまとは違う神さま)はさらに山奥におられてしかも安産の神というのでそりゃオッケーか、と山の神々の懐の深さに触れた。
神楽が終わり、あたりはすっかり暗くなった。
我々はふたりともバチボコに酔っ払ったので歩いて帰ろうとしたら夜は動物(主にクマ)が出るから危ないと口々に止められ、呑んでいないお兄さんに送っていただいて帰った。
我々の家は集落の入り口にあって、ぽつんと一軒家なのでほかのおうちより遠いのだ。
だいたいみんな山の神のちかくにうちがある。
我が集落は切留と呼ばれる。
そのむかし木こりたちが丸太を切ったのを留め置いたというのが由来。
山々に囲まれ、さらに大きな木に囲まれた、ろくに街灯もない場所に、丸太の棒の鳥居があって、そのおくの舞台で煌びやかな舞があり、本殿では地のものが酒を呑んで歓談に興じている。
何十年も昔の話を笑いながら、そのそばで移住してきたばかりの新参者も酔っ払って笑っている。
俯瞰すれば不思議な光景である。
わたしたちはその光景の一部となった。
馴染むと言うのとは少しちがう、
というか我々はこの地のものでないので馴染むというより慣れてもらう、のほうがより現実に近いと思う。
なんとなく、いてもいいみたいな、気がした夜であった。
たくさんお話しができてうれしかった。
神さまもにぎやかを喜んでいてくれたらいいなと思う。
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