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執筆者の写真すずめや

だれのものでもない

カフェアノニマ


20歳そこそこの、大人でも子供でもなく、やりたいことを何も考えずにできて、頭の悪かったあのころに、日曜日にアルバイトにいっていました。

二日酔いだったり、半分寝てたり、マスターもマスターで尋常じゃないくらい寡黙だったんで、おはようございますとおつかれさまでしたしか言葉を交わさないこともあって


大きな透明の扉からひかりがぼんやり入ってきて、うつらうつらしたくなる、なんだか靄のかかったような店内で、何かを磨いたり、ラテを淹れたり、本の埃をはたいたり、CDの背をひたすら端から読んでみたり。


大好きで

あそこで過ごしたあの時間、

すごく充実した、とか、学び多く、とか、そういう時間じゃない時間があそこにはいつもあって

ほんとうに名前のとおり

風や太陽みたいに、アノニマ、そういうところだった。

囚われたり、固執したり、そこから離してくれるところだった。


かなしいだろうか、このきもちは

あがるではないのは、確かだけれど


あのころから大人に、多少はなって

自営業なかまになったし

行けてないから、だから、閉店なんて、悲しんだらだめなんじゃないの、行動してなかったじゃんおまえ、なんて思う。

冗談みたいにアノニマ継ぐ?って言って笑ってくれたの、珈琲を煎るときに思い出すことがある。

いま、お菓子も料理も自家焙煎も、そこらの人並みよりはちょっと上手にできるわたしになって、例えばアノニマの味を思って作るオムライスとか

そうやって作ってできた味に、アノニマの風味はあるけどやっぱりあれじゃなくって


場所がなくなるっていうのは、大きなことね。

ぼんやり立って見ていたあの風景が、なくなることがきまったんだ。

さみしいなあ

さみしいなあ。


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