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執筆者の写真すずめや

いしのふしぎ

作家仲間と、京都の片隅にある小さな小さな石の博物館に行ってきました。


ビルみたいに四角いのがたくさん生えてる石、

にょろにょろの触手みたいな石、

小さな洞窟の奥にひかる水晶のぎざぎざ、

海底に咲く百合の化石。


芸術とかって、もうすでに、石が先にぜんぶやってるのかもしれんななんて話しました。

宇宙…みたいな話にもちろんなって、そいで前に読んだ物理学の本の話をしました。

ぼんやり理解で詳細は間違ってるでしょうけど、こういうことか〜と輪郭を捉えた、くらいの話です。


カオス理論というのがあるのですって。

例えば小麦粉、ばふん、となりますよね。

重力だけだったらただ下に落ちる、

けど実際にはぶわと四方に広がります。

モノには、広がって拡散する性格みたいなものがある。

気流だとか、静電気とか、小麦粉がぶわと広がるのにはいろんな理由があって、いろんなところから作用するちからがあって、広がっていく。

全ての要因をみつければ物理学ではそのぶわを計算することができるんだそうです。

けれどそれは不可能にちかいことです。

小麦粉だけじゃなくって、いろんなものがぶわと広がる。

モノにそういう性格がある。

もしかしたら、我々とても自分を生きて、いろんなことを考えて積み重ねて、人類史みたいなものもあるわけだけれど、ただぶわと広がる小麦粉なのかも。

生命だって人間だって、視点を変えればモノであることにはかわりない、だって我々のからだのもとは、星々の衝突のときに生まれた星屑からできているから。

我々が感情とか事情とか考えているものは、遠くからみたらもしかしたら、気流とか静電気とかそういうものに見えるのかもしれない。

小麦粉の、みえないくらいの、ちいちゃいつぶかも。


何万年も前の地球が作った石を前に、そんな話をしていました。

人は何をしていても結局こんなふうに石になるのだなんて。

楽しいおはなしだこと。


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