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執筆者の写真すずめや

秋盛り

山々がほんとうに綺麗だ。

紅葉とはこんなに美しかったかと毎日驚く。

去年もこんなに美しかったんだろうか。

と書いていると、そういえば去年もそんなことを思った気がするなと思えてくるので不思議だ。


美味しいものについて書くときに美味しいって言葉をそのまま書くことはあんまりにも率直すぎてわざわざ文章にすることないだろという雑念が邪魔をして書けないのだけど美しいに対してはもう美しい以外言葉が無いだろうと思う。

とくに自然に対してそう思う。


今日から一週間、大都会丸の内での出展なので帰ったら紅葉はみんな散ってしまっているかもしれない。

そうであったらとても寂しい。

ぬげたと散歩することも寝ている猫を吸うことも夫のごはんを食べることもない一週間を乗り越えた先に紅葉が散ってしまっていたら寂しい。

もう一歩進んで木々がはだかになり、雪で白く覆われるようになるともうそれはそれで別世界なのでおお変わったなですむけれど、まあなにごとも終わりはうすら寂しいものだ。

帰ったら秋の終わりの顔を直視しなければならないだろう。


去年の冬籠りでたくさん作ったノートがあって、それを頼りにいままでのぎゅうづめ行商生活を続けていたがそれも底が見えてきた。

今回は発送期限のその日のぎりぎりまで作っていてもう胃が縮まる思いだった。

こんなこともうしたくないぜと先のスケジュールを見るが、なんだか年始までまだまだぎゅうづめ行商だ。

ノートは一日じゃできないから、逆算逆算で間に合わせていくんだけど、数字に弱いしそんな計算したくないのだ。

いつ仕事が来てもまかせろたくさんあるぜというのが望ましい。


夫の尽力のおかげで起きている間は食べてるか作ってるかのどっちか、という、作家としては最も幸福な暮らしをしている。

生来の出不精も根が強く、休みの日というのも特にない。

ずーっと、本当にずーっと作っている。

だのに間に合わない足りないと思うのはたぶんどっかが間違っているんだけど走り続けていたらそういうことを考えるのを後回しにしてしまう。

実はそんなにたくさん持って行かなくてもいいのかもしれない。



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