つうことで余裕ができました。
実はこのところ、言葉を飲み込む余裕がぜんぜんになく、音楽を聴いてませんでした。
音楽を聴いていないというの、個人的には振り返ればかなり異常なかんじです。
それぞれに詳しいわけではないですが、オルタナからジャズ、ノイズもテクノもロックもござれ、毎秒浴び続けていたいぜ!という人間でしたのに、コロナ禍とんと、泡の弾けるようにぱちんと、聴こえなくなってしまって。
瞬間的に、大好きなあの人の好きな音楽を、とか、ふと思い出したあのメロディーは、とか思って流したりしていたのですが、以前はこれが食事で、がつがつ食べていたのが、花を愛でる、くらいのふんわりとした執着にとってかわってしまい、んあ、なんだ、ごはんじゃなくなっちゃった、って寂しかった。
そいでもわたしも歳を食って、おとめの頃はだいすきだったチョコレートのこと、あってもなくてもどちらでもいいよ、ってなってしまったことを自覚した瞬間を思い出し、こんな感じで音楽もそうなるのかしら、なんてぼんやり思っていたのですが。
広島の催事はおしまいが早くて、自分のための時間がとても長かった。
そいで、なにかが回復しました。
自宅兼工房ですと、やりたい仕事だってこともあり、無我夢中猪突猛進、というかんじで永遠に仕事をし続けて、特にこのごろはイーハトーブに引っ越すのや!とぐつぐつ煮立ってしまっていました。
どちらにせよライフワークなので、そればっかりのことをよくないこととは思いもせず。
お酒も飲んで、持ってきた文庫本はばちばちの哲学書、よむのはつらいし、久しぶりに音楽でも聴こうか、とイヤフォンをさして。
僕にしか見えない地図を
広げて独りで見てた
目を上げたときにはもう
太陽は沈んでいた
造りかけのおおきな街は
七色のけむりのなか
解らない君の言葉
包み紙から取り出していた
ことばに目覚めた最初のきっかけの歌手がそう歌いかけてくれて、ああ、そうだ、そうだったなあ、とぶわわとなにかが帰ってきた。
はあ、いれるのには、すきまがいるね。
思い出したなあ。
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