肌寒いくらいの朝。
昼に近くなるにつれてじわりと暑くなり、
お昼を食べたら汗が滲むくらいになった。
それで家じゅうの扇風機を強くして、
風がぼうぼうまわるようにした。
それからしばらくして音もなく、雨が降った。
外の一面のみどりが繊細なレース生地をかぶせられたようにぐっと遠のいて、くすみ、音も香りもあとからやってきた。
暑さがすっと引いて、ドレープのうねりに呼応するように冷たい風がそよいできた。
こんなふうな雨は初めて見た。
夏の雨はだいたい大きな足音とともにやってくる。
気配も香り濃厚で、みどりたちもみんな雨に打たれて濃くなる。
こんなに控えめな美しさをもった夏の雨もあるのだ。
なんだか部屋ごと、遠くに運ばれたようだった。
きのうから、マリがあんまり食べない。
ちゅーるの総合栄養食も、一度に食べるのは半分くらい。
その前まで喜んで食べてたちょっとだけの個包装でお高いカリカリも、ひとつぶふたつぶ食べるだけだ。
食べられない、というより、要らない、という態度に見える。
毛繕いもしなくなった。
汚れた口周りをタオルで拭く。
ブラッシングはもともと全力ですごく嫌がる、
嫌がることに体力を使ってほしくないから撫でるだけにする。
できるだけこまめに口もとにごはんを運ぶ。
このあたりのお墓(たぶん岩手の特徴)はだいたい見晴らしの良い場所に並んでいる。
お墓の顔も、ひらけた方に向かって並んでいる。
できるだけ遠くまで見渡して、四季の移ろいを楽しめますように、だろうか。
お盆真っ盛りで、小高い丘の上のお墓は遠くから見てもお供えのお花で花畑のようだ。
うちの近くのお墓もやってくる車が絶えないようだ。
(道程的にだいたいうちの庭でみんなUターンするのでわかる)
こういう風土の場所で、最後になれるのは、いいことだろうと思う。
マリはいままででいちばん広い空をみた、
お外を散歩する楽しさも知った、
ずっと家の中にいたのに食べられる草を見分けられた、
アスファルトの上も土の上も草の上も歩いた、
カマドウマも捕まえたし、
雪の中も歩いた、
でっかい雷や積雪の落ちる音に驚いた、
新しい家族もできて、
広い廊下と階段で遊んだ。
できたこと、よかったこと、それを数えていかなくちゃならない。
後悔を数え始めるのは、しそうになるけどしない。
かわいそう、の呪いはあんまりにもグロテスクだ。
そんなのをあの子にかけたりしない。
そんな生ではなかったはずだ。
願わくば今日の雨のような、優しい終わりでありますように。
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