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  • 執筆者の写真すずめや

むくろ

天使と名のついた葬儀屋さんをみつけて、

マリを送った。

マリは骸となった。


ひと通り、人間がするように、別れの言葉やお経やお線香があって、火葬になって、骨壷にいれる例のやつもやった。

つくづくお葬式というのは残されたもののための儀式だなと感じた。

静謐な儀式。


だから帰りの車のなかでつのだひろが歌うかっこいい般若心経をかけてやった。

それはゴスペル風のアレンジで、我が四方家には宗教というのは特にないのやから、かっこいいので盛大に送ってやれば良いと思った。


マリが焼かれているあいだにスーパーにいって買い物をした。

冗談で笑ったりもした。

家に帰ればミリもメリも元気で可愛かった。

お風呂に入ってご飯を作って食べて眠った。

日常は続く。


もうマリの寝転んでいるのを見て、そのお腹がちゃんと膨らんだり萎んだりしているか、確認しなくてよくなった。

せっせと口もとにちゅーるを差し出すこともない。

寝転んでいたたたきは夫が綺麗にしてくれた。

可愛いマリちゃん、話しかけて、声が返ってくることもない。

それでも日常が続く。


落ち着いたら、気が済んだら、マリは壺から出して土に埋めようかと思う。

土に還る、そして自然の循環のなかに溶ける。

雨も風も木々もマリになる。

焼けた骨にはマリはもういのちでなく、モノになった、という感触があった。

土に還るためには壺から出してやらなきゃならないだろう。

マリはお外が好きだった。

体は無くなったのやから、軽やかに地球ぜんぶでも見てまわればいい。

それでたまに帰ってきてほしい。

執着や束縛になってしまいそうで、怖いのもある。


今回のことで、正直仕事のスタンスについてかなりぐらついた。

大事なときに大事なもののそばにいられない。

わかってはいたことだが、いままでは本当にはわかっていなかった。

こんなに大事なものが増えるとも思っていなかったし。

でも最終日の最後に来てくれたお客さんが引き戻してくれた。

初めてお会いする老紳士で、丹念に作りを見ては行ったり来たりとしてくれていて、話しかけてみると60年前から丸善に勤めていらして、出版の部門(いまあるかどうかはしらない)で製本をされていたのだそうだ。

現在はお仕事を終えられてご隠居されているそうだった。

たまに古巣の、この丸善に来るんだって。

微に入り細に入り作りをとても褒めてくれて、私が作っているのだと話すととても信じられないというようだった。

こまかいとこまで恐れ多いほどに褒めていただいた。

絵をつけられるようになって、技術面のことを言われることは少なくなったが、日々の切磋琢磨の基本はそのつくりにある。

だからとても嬉しかった。

本屋さんにずっといて本を作っていた人に、そう言われてとても誇らしかった。

それで初心に引き戻してもらった。

ここまでやってきたんだから。

こんなふうにできるようになったんだから。

なんだか神様に撫でてもらったようなひとときだった。

まだまだがんばる。

日常は続く、根底に製本がある、そうやって息をしてきたんだから。


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