アルバイト先のスーパーがオーガニック なところで、ワクチンは人工的で自然じゃないので打つ気がない、体に入れたくない、という人がいました。
言わんとすることはよくわかるし、わたしも普段は添加物を避けたりしている。
でもなんか、む?とひっかかりがあり、そいで考えていた。
蜘蛛の巣は自然で、人間のビルは人工物で自然じゃない。
自然じゃないのかしら。
動物としてお互いを見てみたら、ビルは自然じゃないかしら。
つばめや蟻なんかになると、自分の唾液と土とを混ぜ、巣を作る。
加工、というようなことをしている。
工程の複雑さは段違いとしても、同じことをしていると、言えなくはないのでないかしら。
草食動物でも疫病で死んだ仲間の体を食べて、免疫を手に入れることがあるという。
お魚の世界にもいじめというのがあるのだという。
子孫繁栄を目的とせず、快楽のために交尾する猿がいるという。
自然なもの、自然じゃないもの。
政治的なこととか、思惑とか、思い込みとか、思想のたぐいを剥いでいけば、ぜんぶ自然ということになるのでないかしら。
こう考えがいきついて、するとこの、なんとなしに頼っている、定義というものの脆弱さに気づいてふと身震い。
仮定からの実験、証明、それがずっと続いているだけで、いつまでも仮定の中なのかしら。
言い換えれば陳腐な気もしますけれども、自分次第の世界ということになりますが、わあこれは、考えつづけなくちゃならないわけだ。考えるのをやめられないわけだ。考えることが面白いわけだ。
何周かして、いや周らなくっても、行き着いた場所がおんなじでも、ちがうもんだな。

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