春の風景
- すずめや

- 4月20日
- 読了時間: 4分
うぐいすが鳴き始め桜も咲き始め春爛漫。
家のまわりにはいまシジュウカラがたくさん来ていて気温の高まりと共にテンションをあげてゆく憎き屁こき虫どもを啄みまくっている。シジュウカラはちいさいがけっこう度胸があるようで、網戸越しに猫がクラッキングしても、忍者ヤン子が網戸にへばりついてもあんまり気にせずにそのへんで群れている。
今日はシジュウカラを蹴散らさんがごとくにカケスのでかめの群れが来ていたみたいだ。庭先だけでなくふたつ向こうの畑にもたくさんいて、彼らは派手だし飛び立つとシジュウカラよりもよく目立つ。
正気のない茶色けた、枯れたように見える裸の広葉樹の枝々のなかに萌葱色の新芽を吹き出してゆく木々がある。自然のことなのに、その萌葱色はまわりから浮いていてわたしの目にはすこし奇異にうつる。山桜のうす桃色はそうでもないのに、萌葱色の宇宙船みたいに、枯れた色の山に浮いている。
萌え出で始めた新芽たちはよく見ると個性のあるもので、ふわふわの産毛のあるものも多い。葉っぱにも産毛というのがある、ということはやはり新芽は赤ちゃんということになるんだろうか。
ねこじゃらしが吹き出しているような木と、緑色の細長い毛虫が吹き出しているような木がある。同じようにもじゃもじゃの新芽なのに後者はなんだが生命力が妖怪じみている感じがあり若干気味が悪い。ねこじゃらしのほうはみかけるとほんわりとほおの緩む感じがありわたしの感じ方はとても勝手だ。
天使が羽を閉じたとき、みたいなかたちの新芽を出している木もある。ちっちゃな天使が鈴なりになっている。鈴といえばすずらんのような小さな白い花を枝先に並べて垂らしている木もある。本当に妖精さんがランプにでも使いそうな愛らしさがある。逆にもし妖精さんのランプのために木がこの花を用意しているとすればこのあたりにはかなりの数の妖精さんがいるということになり、これはすごくいい考え。
山のなかにわけいったようなところに急に赤い丸い実がぽつんと小さな低木に成っていることがある。都会の花屋の店先で見る、観賞用とうがらしみたいな丸い鮮やかな赤い実は色の少ない春の山のなかではとても目立つ。こいつもわりと奇異なかんじだ。
鮮やかに紫色の花弁を持ってうじゃうじゃ咲きまくっているカタクリの花は鮮やかなはずなのにぜんぜん目立たないのが謎である。カタクリ群生地、と我が家のまわりを観光案内の看板が示しているのをみてはいたがそれってどこなんだろうと思っていた。なんとうちのまわりのカタクリの群生に、今年やっと気づいた。よくみれば群れている!
ホームセンターの店先ではちっちゃいパンジーがスミレと呼ばれて売られているが、分類としてそれが正しいとしてもちっちゃいパンジーのことはスミレと呼びたくない。ちっちゃいパンジーにはヒゲがついているからだ。スミレにヒゲがあってたまるか。お砂糖に漬けられるような素敵なお花だ。この時期にはとってもスミレスミレしたかわいいちっちゃな頼りないスミレ色の花が咲いていて、わたしはそれをスミレであると断じたいと考えている。なので詳しい名前は検索しないことにしている。
花のついたまま枯れて、おしゃれなドライフラワーとして道端を飾っていた紫陽花たちの、枯れ切ったように見えた枝の先から力強く新芽が突き出し始めた。紫陽花の新芽はちょっとした槍かも、と疑いたくなるくらいの力強さがある。
近くの沼地には水芭蕉が咲き、その脇で真っ白いぶどうが底に沈んでいる。初めてみたときはひやりとするほど異様な感じをうけたがあれはなんか貴重なサンショウウオたちのたまごなんだそうだ。いちど夫がなんかのはずみで捕まえてきた真っ黒いサンショウウオ。あいつはずいぶんチビだったのにたまごの群れは異常にでかくて、多い。
雪解け水を清清と流してゆく川たちは写真に撮ったら水が本当にあるのかわからなくなるくらいに透明で、だからしつこく水面を覗き込むけれどなかなかさかなの影すら見えない。流れが早い川にはあんまりさかながいなくて、サンショウウオ系の生態系が強くなるとどこかで聞いたことがあるけれど、わたしはロシアの少年のようにチーズでさかなつりをする、できればマスを釣り上げる夢を、諦めたくない。
あたたかくなってきたからぬげたにマダニのくすりを飲ませてやらなきゃならない。このキューブ状のくすりを飲むとしばらくぬげたは毒犬(ドクドッグ)となるのだそうだ。マダニはぬげたを噛むけれど、くすりを飲んだあとのぬげたのその血は、マダニを殺してしまうのだそうだ。なんてかっこいい。
四月がもうすぐ終わってしまう。
五月はゲボほど目まぐるしい。
今日も急いで新しい什器を用意すべくペンキに塗れた。蝶番を買ってくるのを忘れた。春はお散歩ばっかししていたいな。





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