大阪に来るたびのいちばんのご褒美、梅田の老舗のニューハーフショーハウスのジャックアンドベティがこの10月ママのご病気のために閉店とあいなった。
ジャックアンドベティのことはいくたびにこのブログでしつこく感動を記していたので割愛する。
この大阪出張が決まった時から、大阪在住の作家仲間(ガラスにサンドブラストという技法で彫刻をする作家で例えば江戸切子のような古典的ともいえる紋様を掘るが本人の背中には髑髏のでっかい刺青が入っており出展中も踵の高い革ブーツで常に過ごしヴィヴィアンウエストウッドをこよなく愛する最高にいかれた可愛い女性)とジャックアンドベティに行こうと計画を練っていたのでこの閉店にはとても慌てた。
どうするどうするとなん週間も前からお互いに調べた情報やGoogleマップでのやりとりが続き、直前まで二転三転としながらなんとか初めての新しいニューハーフショーハウスをみつけて潜り込んだ。
まあでもやっぱり素晴らしくよかった。
ジャックアンドベティとの差異を挙げるとすればそれはキャストさんたちの個々の魅力云々となる、それをいちいち挙げることは無粋の極みであろうと思うのでこちらも割愛する。
彼女らの魅力はどうしても屈託のなさ、それが最も大きいと思う。
昨今のLGBT論争の迷走爆走路地に入り加減、それというのはひとつの議題に関する議論の交わし合いによる混乱でそれをしっかと見つめて自己の考えを確立してゆくことこそが次の時代の考えを確立するひとつの石、煉瓦、峰の足元であろうと思うのでそれはそれでわたしは注視しているつもりなのだけど、そんな論争がなかったころからそういう人たちはいて、今回もそんな話を聞かせてもらった。
20年や30年前は、例えばあるお姉さんの生まれた田舎では、都会に比べたらみんなの考えは50年や60年前のものだったんだそうだ。
男の子が女の子になりたいと、そんなことを口に出していえばばけもの扱いだったんだそうだ。
そうだ、と他人事のようにいうが、わたしが田舎の子供だった頃、もし近くにそういう人がいたとして、奇異の目なしにその人と接することができたかと言うといくら純真と言われる子供時代であってもそれは無理だったろうと思う。
いまわかったようにそれは辛かったよねなんて言えるのはわたし個人のなにかが考えを変えたわけでもない、時代のでっかいうねりの流れの一縷によるものであり、みんながわかってきたような気がするので考えはじめてわかったような気になっているだけなんだと、根本的には絶対にそれを忘れたくない。
でも例えば電車で隣に座ってきた男性に、ホテルのエレベーターでたまたま2人になった見知らぬ誰かに、まずは警戒の態勢をとり、それを悟られぬように気を使い、エレベーターを降りて部屋に向かう前に誰かに見られていないかとふと不安になって振り返る。
そういう常に付きまとう社会性な力の弱い性別、女性としての不安、それをぶっとばしてでも女性という性の持つ美しさを見つめてくれていると感じさせてくれるハウスのお姉さまがたの姿勢がまず大好き。
本来ならぶっとばしてでも、女性って、無二に美しいのだと、きっとどこか根っこで思っているのだ。
美しいっていうことは、とってもでかい力なんだってきっと思っている。
でもおまえはどうだ、これはどうだ、それならあれは、って直観をじゃまするサビや垢がたくさんついて、それでなくてもだいたいいつだって不安なんだけれども、生まれついてのものというのはなにかをして得ることのできた報酬でないので蔑ろにされたりしたりしても、しょうがないんじゃないだろうかって、諦めてしまう。
彼女らはそういうのをぜーんぶぶっとばしてくれる。
なりたいって思ってもらえると、木にも登るような心持ちになる。
そこにはたぶん、多分のエゴがあるのだけれど、それは階段の手すりであって、おまえは勝手にひとを手すりにするなよという非常識を怒る気持ちと、それでもこの手すりの装飾の美しさときたら、たとえようもないですね、とため息をもらすほかないその一瞬が、どうしても、たしかにある。
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