京都恵文社の三日間が終わった。
定期的に来ているこの三日間も随分慣れたものだ、
と思ったところで二週間前に急に京都でとった宿側からキャンセルの連絡が来た。
何が起こったんだかわからない。
何ヶ月も前から予約していたのに急にキャンセルされた悲しみと情けなさとそんなところはこっちから願い下げだぜという気持ちで問い合わせることはしなかった。
慌てて代わりの宿を探したがもちろん京都に宿はなく、結局、京阪沿線で探そう、あのお宿のせいであまり高い宿賃払うのも癪だからできるだけ安いところを探そう、としたところ門真という行ったこともない大阪の都市に宿を取ることになった。
乗り換えが最低3回、その乗り換えもミスをすると一時間半の通勤になりかねないなかなかしんどい遠征となった。
初心を忘れるべからずだ。
今回の京都では二十代前半にバイト先で出会った古い友達と、高校を出て京都にでてきたばかりのころに出会って大好きになったカフェ、のちにわたしはそこでアルバイトをはじめ、そのカフェ史上もっとも長く勤めたバイトとなったカフェのご夫妻が来てくださった。
このカフェのことは何年か前のブログに書いたはずだ。
もう閉店してしまった、北白川のカフェアノニマ。
なにものかになろうと棘と破片を撒き散らしながら足掻いていた小娘だったが、そこにいるときだけはなにものでもないわたしになれた。
古い友達は、京都を離れてからほとんど会っていなかったが、京都を離れる際お別れに会おうと言ってくれた数少ない友人であり、SNSの鍵垢というたいへんプライベートな場所を共有している。
(京都を離れることはあまり友人知人に個人的には報告してなかった、すずめやとしては公言していたが)
なので様子はわかっていた、鍵垢というのは実はわたしはあまり呟かないがその友人は文章を書くことで発散整理するタイプ(つまり同じタイプ)なので病める時も健やかなる時も画面の向こうから一方的に見ていたようなかたちだ。
それがある東京出展の際、搬出作業でうおおとなっていたら急に現れて、あ!終わっちゃったよね間に合わないと思ってたんだけど!まあまた会おうね!くらいのかんじで急に去っていった。
そのとき読んでいた本がとてもその友人を思い起こさせるもので、その友人のことを考えていたところだったので本当に心の底からぶったまげた。
それをきっかけに久しぶりにやりとりが始まり、今回会おうということになったのだった。
真の友人とはとても数の少ないものだ。
ひとつの所作や語彙や語り合えるいろいろな文学作品や家族の話、死生観について、宗教観について、あけすけにでも考えながら話が出来て、そういうことが久々にじっくりできて、嬉しかった。
今、宗教観という語を使ったのでちょっぴり愚痴を吐くのだけど、憧れていた人や好きだった人が、ちかごろ陰謀論めいた洗脳系の諸説に、それぞれジャンルは違えど何人かが染まってしまっていて、それが重なって悲しく腹立たしかったところにこの会があったのでとても嬉しいタイミングだった。
そういう論を世界に広めている人たちに対して、効果的に言葉を使って人を自分の偏った考えに染めるという卑怯さに反吐が出る。
その姿勢は文学を文章を学問を馬鹿にしている。
無知の知という言葉を知らないのか。
そういう論者はその言葉すらだれかを洗脳するために都合よく使うだろう。
わたしのなかの茨木のり子魂は吠え続ける。
ばかものだ、ばかもの。
京都を去る別れ際に会った数少ない友人の、今回会った友人とは別の大好きな友人に、別れの選別に茨木のり子氏の詩集をもらったことがいま紐づいた。
真の友人は数少ないものであるが、でも、しっかりいる、いるなあ、これは大袈裟でなく人生の幸福のうちの輝く一粒であろう。
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