雫石町では田植えがずいぶん進んでいる。
水を張った田の広がる風景は幻惑的だ。
とくに自然が豊かな場所にあると、
その自然の悠々とした景色の中に広がる、
無機的な人工物といった佇まいだ。
いちめんの鏡が空を森を光を映す。
ちかごろはどくだみをむしるのにはまっている。
雨の次の日なんかは地面が柔らかく、
ひっぱるとずるっと白い根が抜けるのが快感だ。
隙を見てはむしる。
どくだみもむしるけどこないだはミツバもむしって食べた。
花束のようにたくさん摘んでしゃぶしゃぶにした。
わらびも摘んだしモミジガサ、こごみ、タラの芽、ノビル、その辺の草を摘んでは食べる。
いまはマダニがたくさんいる時期らしい。
こないだ次男猫のミリが穴の空いた床をふさいだ板を剥ぎ取り、さらに床を食いちぎりまた脱走したときは山に入ってしまって、捕獲したときには耳にマダニが食いついていた。
恐ろしいことである。
動物病院の先生は慣れた手つきで飄々と、素手でマダニをひっぱってぷちんととってくれた。
下手に素人が取ろうとするとマダニの口だけがのこって炎症なんかの恐ろしいことになるらしい。
夫も山探索のあいだよく見かけると言う。
見かけるなら危ないんだし山に入るのはやめて家の中で漆喰塗りでもしていてほしいところだがそこは全くの聞かん坊だ。
ミリといえばねずみを取る。
初めてねずみを寝室まで持ち込んだときは大騒ぎだった。
あったかくなってきてから、日が暮れるとなぜか玄関にへばりつくようになっていた。
以前から日が暮れると居場所を変えたり行動を変える猫なのであんまり気にしていなかった。
玄関でねずみをとっていたのだ。
調べるとねずみの出入りできそうな穴があった。
ねずみは病気やダニや寄生虫をもちこむとネットには恐ろしいことがずらずら並べて書いてある。
怖いのを我慢してミリの仕留めたねずみをよく観察して調べてみたら、そういうねずみと違うねずみらしいことがわかった。
いろんなばい菌とかを媒介するねずみは家ねずみと呼ばれる種のねずみで、どうもミリの捕まえているのは野ねずみだ。
まあそれにしても恐ろしいのでできるだけ捕まえないでほしい。
ミリとキスするのは控えるようになった。
おばあちゃん猫のマリは相変わらずミリと関係があんまりよくない。
いっときかなり近い場所で寝たりしてたけどなにがあったのかまた距離が開いてしまった。
お嬢様猫だからねずみを捕まえるミリをみて怖くなったのかもしれない。
でもお昼すぎには仕事場に入ってくる太陽を浴びに2人で並んでいたりする。
ミリは構ってほしくて近づくけどマリにシャーとされて猫4匹分くらいの間隔をあけてすわる。
マリもすわって日向ぼっこをしている。
新入りのメリはまだ片手に乗るくらいちいさい。
よちよち歩きではあるが、走ったり飛んだりするようになった。
白い牙も生えてきた。
来て三日間くらいはぴゃあぴゃあさみしいと泣いて心が苦しかったが、思ったよりすんなりと慣れてくれたようでいまはお腹がすいてないときはでんと伸びて転がって寝ている。
かまってかまってと呼ぶようにもなった。
まだちいさいので不器用だけどゴロゴロいうようにもなった。
顔じゅうを離乳食だらけにして食べていたのもずいぶん上手になった。
膝に登ってころころ転がるようにして遊ぶ。
マリに見せてみたが匂いは嗅ぐけどそこまで興味はないみたい。
ミリはだいぶ関心がある。
ほんの少しだけ隔離部屋をあけてみたりすると、腕を伸ばして転がってちょいちょいしている。
メリも気になってやってくる。
まだ接触するのはまずい。
裏庭がずいぶん耕されてきた。
前の畑はまだトラクターまち。
トラクターは集落のかたにお願いするのだが、田植えの時期は繁忙期だ。
まだしばらく前の畑はできなさそう。
かわりではないがここのところ夫は裏庭を耕し続けている。
帰ったらまたなにかが植っているかもしれない。
好物のスナップエンドウがあったら嬉しい。
そらまめもあるといい。
植えていちにちでバッタの赤ん坊に食べ尽くされたバジルもリベンジしたい。
たくさんバジルを生やしてジェノベーゼソースをやりたい、あれはできたてが抜群においしい。
あとパクチーも山盛りあるといい。
ディルも好きだ、セロリもほしい。
夫は料理をするようになってハーブの楽しさがわかってきたようだ。
共有できることが増えるのはいいことだ。
昨晩は作ってくれたラムとトマトとミントの煮込みのことを得意料理だと誇らしげに言っていた。
作ったのは2度目。
せみがもう鳴いている。
うぐいすもまだ鳴いている。
カエルの声も聞こえるようになった。
小鳥の歌は雪解けの頃の歌からまた変わったみたいだ。
羽化したてのオオミズアオをみた。
くまんばちもやってきた。
バッタの赤ん坊はみんな少し大きくなった。
白い蝶々がひらひら舞う。
新緑は日々色を鮮やかに深くしてゆく。
あの冬のがらんとした風景のこと、
もういまは思い出せない。
濃密に葉が茂り、むせかえるようだ。
ああそんな場所を置き去りにしてわたしはいま東京へむかう新幹線にのっている。
蜻蛉帰りできたらどんなにいいだろうと思う。
でもお客さまに会わなきゃ得られないたくさんの栄養がある。
それを吸わなきゃ育たないなにかは飢えている。
外に出てわかることはあそこにいたらわからないことだらけだ。
おんなじときに違う場所にいられたらいいのになあ。
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