ついにみょうがの季節がきた。
胸より下くらいの高さに青々と茂った葉を根本からかき分け、アブと戦いながら地面を這いまわる季節である。
みょうがとりは楽しい。
ふきのとうとりも楽しい。
両者に共通するのは地面を這いまわり花の蕾を手でちぎりとりやまもりに収穫するという点であるがそういうのが好きなんだと分析してわかったところでなんだというかんじである。
やまもりになるのがいい。
そういえば釣りに連れて行ってもらっていたときも一匹でかいのを釣るよりさびきでちいさなアジを入れ食いに釣るのが好きであった。
そう考えると売り場にはじめて来られた方はわたしの製本の物量に恐れ慄く場合があるが、根っからたくさんあるというのが好きなんだろうな。
大好きなものがたくさんあるという状態が好きなんだろうな。
ならお金だってたくさんあったほうがいいんだろうにあんまりないのでお金を好きだと言う気持ちが足りないのかもしれない。
たくさんあるといえばちかごろ2度目の薪を買った。
薪は割るのにエンジン式のすごいやつがいるし乾かすのに一年は要るとかいう話で田舎暮らし初心者にはハードルが高いため割ったのを薪やさんから買う。
薪やの薪じいは2トントラックで来る。
2トントラックに満載の薪、荷台は昇降できるようになっており、満載の薪をそのままガガガと軒先におろしてくれる。
薪がたくさんある!
わたしは火を燃やすのが大好きである。
薪じいは岩手で会った人間のなかで最もおしゃべり好きな人だ。
たぶん常に頭が回転してて、身体でもずっと仕事してるタイプだと思う。
今回は薪じいに、斧を使う時に下敷きにする丸太がほしいと頼んで持ってきてもらった。
斧をつかう丸太ってなんか一個だけちっちゃいのがあるイメージだったんだけど薪じいはでっかい丸太を2つと、古いタイヤを持ってきてくれた。
でっかい丸太を2つ並べた上に、金属ぬきのゴムだけ状態のタイヤを置く。
ゴムだけタイヤのなかに薪を置いて、目掛けて斧を奮い割るんだそうだ。
ゴムだけタイヤが薪が散ってばらけるのや、斧の刃が変に入って怪我したりするのを防いでくれるとのことだ。
薪じいはいつも笑っていておしゃべりで、軽薄な印象が少々あったのだけど、うちのちっちゃな斧で薪割りをみせてくれたその様子ときたらま〜かっこよかった。
斧をふるうモーションは一切の淀みなく、空中に線を描いているようにすら見えた。
ぱんと一度振り下ろしただけで綺麗に半分に割れる。
うちは割ってある薪を買っているので、薪を立てるといってもけっこう不安定なようすなんだけどもうそんなんぜんぜん関係ないぜ、とぱこんぱこん割って見せてくれた。
弘法筆を選ばずというやつ。
個人的に作り手としてそんなこたねえぜとは思うことわざだったんだけど、たぶんこのことわざを作った人は薪じいみたいなのを見たんだろうな。
きっと本人的には実力出せてないぜって思うんだろうけど知らないこっちからしたらほんとすげえなって思ったもんな。
ところで薪じいは、斧のことをまさかりとしきりに呼んでいた。
まさかりというのは金太郎の童謡のなかにしか生きていない単語だとばかり思っていたのでたいへん感動した。
野菜をもってきてくれる近所の人、というのもお話のなかにしかいないと思っていた存在だったが実在した。
ないだろうとなんとなく思っていてもあるもんだよな。
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