• すずめや

詩集を2冊

ブックカフェギャラリーでの文庫本の装丁、製本をテーマにした展示にお招きいただいて、久しぶりに売り物ではない作品を作りました。

マラルメの詩集と、宮沢賢治の詩集。

敬愛するおふたりの本を、畏れ多いを乗り越えて。


何かを作ったり書いたり描いたりしていればどんな人でもそれでアーティストですしクリエイターですし作家ですとは思います。

ただ自分に置き換えるとやっぱしもともとの自己肯定感の低い卑屈人間が顔を出して、胸を張ってそう言えなかった。

作ったもので飯を食っていかれるようになったことは、そういう卑屈を跳ねのける大きな自信の根拠となりました。

ぐらつくことはあれど、だいたいはしっかり胸を張っていられる。

まだくすぐったい気持ちもあるけれど、作家とか、アーティストとか、そういうふうに呼ばれることを受け入れられるようになった。


庭に夫がひまわりの種を蒔きました。

移住してすぐのことで、そんなにしっかり土をかぶせなかったから、ちょっと根っこが浅いのです。

でもひまわりはごんぶとの茎を伸ばしてりっぱにつぼみをつけました。

根が浅いと、ごんぶとは支えられなくて倒れちゃうのもいた。

根を伸ばすことは生命の本能で、土をかぶせたり支柱をたてたりすることはまた別の努力と思う。

私にとって作品で日々の糧を得ることは土をかぶせる努力だったのかもしれないと思いました。

たっているためには、根を伸ばすちからだけでは足りないみたい。


しっかり立っていられるようになったから、静観してお金の関係ない作品が作れたように思います。

お金が関係ないということが崇高だという話ではなく、お金が関わることが穢れだとかいう話ではなく、それは絶対にそうではなく、ただわたしのみちのりには作品で糧を得ることが大事だったのやなと感じた次第です。


もがいていたころもずっと関係ないなにかしらの表現をしていたけれど、それらは倒れてしまったひまわりだった。

せつないかなしい勿体無い、でもよくここまでがんばれたね。

安らかに眠れじゃないけれど、一年草のひまわりは冬の手前にきっと枯れ、長い雪の下を過ごし、春が来て地面がまた見えたらまたひまわりの種を蒔く算段をするだろう。

そうやってくりかえしてみんな強くなる。


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たくさんの方にお会いできました。 本当にありがとうございました。 東京駅すぐの丸の内に一週間。 都会も都会、まあ12時間はおんなじ売り場にいるわけですけど岩手とはもうものすごい差です。 仕事に出てすぐ帰りたくなるのはいつものことなのですが、いや今回は、はじめて郷愁というのを体感した気がします。 すぐ帰りたくなるのは基本的に猫に会いたいとか自分のごはんを食べたいとかそういう欲求だったのが、ほんとに、