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執筆者の写真すずめや

装身具、考。

いわゆるアクセサリーってほんとに手持ちがなく、あんまし意味も考えたことなかったんです。

いま持っているのは、はにわ作家さんとこでえげつない気持ち悪いはにわ(褒めてる)を買った時におまけでいただいた顔に紐を通したやつと、幼馴染が結婚するってときに彼の部屋から借りてきたやつと、飲み友達のおばあちゃまにいただいたのん。

昔の恋人からのんとかはもう持ってないし飾り付けやラッピングに苦手意識を持っているのでなかなか考えもしていなかったのです、装身具に対して。


それが最近、あの若い猫のような美しい方に耳飾りをいただきまして。

ここ半年ほどでいきなりアクセサリーやジュエリーの方々と縁深くなったこともありまして。

それで、ちょっと考えたりしました。

装身具、考。


いちばん頻繁に着けるのは、0歳からの幼馴染から借りているやつ。

絶対無くすなよ、と言われているので借りているつもり。

彼は唯一辛いときにしがみついて泣きわめくことのできる他人で、結婚するっていうからなんかよこせと借りました。特に恋があったわけではないし、もうお互い遠くに住んでいるし、会わないけど、そういう貴重な他人です。


ほか、数少ない装身具経験から言えばやっぱり昔、恋人から、ってのが多く、いまは持っていないあれこれを、つけたときのことなどを比較に思いおこして考えます。大事にしている理由など。


刺青をしたくって、わりとずっと持っている願望で、装飾に対する欲ってほんとそれくらいで、それがなんなんかなっていうと鎧や勝負服の感覚におそらく近い。


中学生のときに剣道をしていたんです。

道着、袴、てぬぐいをきゅっと締めて防具、籠手をはめて竹刀を手に、足元の白い線まで歩いて構えてすっと背を伸ばして腰を落とす、その瞬間の澄んだ空気。

あの空気を強烈に覚えていて、勝負服の感覚、身を引き締め直すための装身具、と考えがわたしには流れているようです。


だから、頻繁に着けるのは幼馴染から借りてるやつ。

心が弱くなっているときに、首から下げてぎゅっと握ったり、誰に会う予定もないようなときもお風呂以外はつけてたり。しがみついて泣きわめくことのできるひとが彼以外にいまのとこ居ないからかな。


装身具、と思うのは、ついつい意味を考えがちなわたしにはぴったりの言い表し方だと思っています。

これをつけたらかわいい、映える、日々を美しく過ごす、というのんからちょっと外れたところから考えていました。


けれど、あの美しいひとがわたしに耳飾りをくれたときに、そんな俯瞰の考えの及ばないころの小さい女の子がでてきて、似合うと微笑んでくれたのを見て、腑抜けた顔でわたしも笑顔を返せたのです。

いただいてからほぼ毎日つけております。やりすぎやりすぎ。


その小さい女の子が教えてくれた、ただ飾るというかんじ。

インテリアデザインの発端が室内装飾であるという切り口の講義もいただいたのちに別口で聴いて、なんだかぽぽんとピースがはまっていったのです。

デザインと思考、装飾とアートのことをなんとなくいままで切り分けていました。

べつの勉強やと思っていたのです。


でも理系だって論文に文章力が必要だったり、釉薬をかけるのに数学が必要だったり、なにもかもが助け合いでひとつの解、たとえば作品をつくる、視点にたどり着く、哲学を生み出す、そこにゆくのですよね。


わたしにとっての装身具と、あなたにとってのアクセサリーと、誰かの作り出すジュエリーと、それぞれ思想の上に成り立っているにもかかわらず、みんな存在が軽やか。

なくても美しいひとは美しい。生きていけるし必ずしも必要がない、という軽やかさ。

ただそれによって、すこし、コントロールができる。


良いお酒や、上等の珈琲や葉巻なんかに近いかも。

クラッシックの流れる店で共されるワインの前で、インスタントラーメンの話はしない。

選び抜かれた豆を最適な温度で香り高く淹れた珈琲の前で、日々の愚痴など出てこない。

紫煙をくゆらせているなかで、せかせか仕事の段取りなんて無意味だ。

そういう、場の舵取り、コントロール。


そういうものかも、装身具。

この耳飾りをつけていて、可愛いと褒めていただけるときに、謙遜がとても軽くなりました。めっそうもない、恐れ多い、を少なくしてくれるちから。


パーツの1つとして、防具の1つとして。


こんどの満月には、真鍮の輪っかを作りに行くのです。

細いのと太いのと中くらいのと、その場で見て決めていいんですって。

てんてん叩いて作るんですって。

わたしはそれを手首にはめて、日々ノートをつくるのです。

とってもとっても楽しみです。

お月様みたいのができたらいいなあ。


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